続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

里帰り

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続里帰り2013-4

毎年里帰りする食べたい物がある。
お寿司、お刺身以外にも楽しみにしている物。
しゃぶしゃぶ、うなぎのひつまぶし、
母の味付けの切り干し大根、レンコンのキンピラ。
そしてゴーヤチャンプル。
これは私が作る。

今年のゴーヤチャンプルは会心の出来。
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玉子の固まり具合といい、味といい自画自賛。
やっぱり日本の薄切りバラ肉でないとこうはいかない。

この日、この夕飯がそろそろ食べ終わる頃にインターフォンが鳴った。
エプロン姿に鉢巻のお向かいのご主人だった。
この日町内会の班長だったお向いさんは町内の夏祭りの運営をしていて
屋台も担当していたそうでおでんが美味しそうなのでと
差し入れしてくださった。
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昔の懐かしい味噌おでん。
もうお腹はいっぱいだったのだがあまりにも美味しそうで
母とどうしようかと言いながら食べちゃおうと頂いた。
美味しかった。
温かいのを食べさせたいと言うご主人の気持ちが嬉しかった。

ご近所さんと言えば裏のおじさんにもまたお世話になった。
前回の里帰りで母の事情を知ったおじさんが
前回私に「お母さん怪我しちゃったんならもう庭仕事も大変だろうから
草むしりとかしてもいいかい」と聞かれた。
以前から母の手に負えないものがあるとおじさんに助けてもらっていたので
よろしくお願いしますと言っていた。
今回は里帰りする前からかなり北海道は暑く雨も少ないと聞いていたので
私が6月に植えていったマリーゴールドやベゴニアは
枯れているのではないかと心配していた。
しかし実家に到着した日、花たちは無事だった。
実家に入って庭を見てみるとなんだかすっきりしている。
よく見ると木の枝はきれいに剪定されていて
雑草はきれいに抜かれていた。
おじさんは2日にいっぺんは自分の庭の手入れの延長で
実家の手入れもしてくれていた。

ある日おじさんがちょっと話があるとやってきた。
実家の灯油タンクが家の反対側に少し傾いている。
この先地震でもあって倒れたら大変だから
足元にブロックを入れてしっかりさせたいので
母への説明と許可がほしいと言う。
そんなありがたい話はなけれど大丈夫かとたずねると
油圧ジャッキもあるし大丈夫と言う。
私がいる間にやるのであれば手伝うと言うと
いやまだ暑いからもっと先にするといってた。
ところがその2日後には立派なブロックが入っていた。
うらのおばさんはお父さんは好きでやっているから気にしないでと言う。
今でも2日に1回は実家の庭の手入れをしながら
母の様子も見ていてくれるようだ。

私がイギリスに帰る前日夫に食べさせてやれと
おじさんの畑で取れた野菜を持ってきてくれた。
残念ながら野菜は持って行けないので
気持ちだけありがたく頂いた。

こんなご近所さんに恵まれ安心して帰途に着くことができた。

続里帰り2013-3

母の世話だけではなく私も楽しませてもらった。

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友達が連れて行ってくれた日本茶カフェ。
それぞれのお茶に適した温度のお湯でお茶を入れてくれる。
蒸らしの時間も砂時計で計ってくれて
最後には出がらしの茶葉をお薬味で食べさせてくれた。
お茶を最後まで堪能できて楽しいひと時だった。

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ずっと食べたかったマカロン。
美味しいところを友達の教えてもらった。
母と好きなのを選びながら食べた。
美味しかった。

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今回の里帰りの一番の目的は退院する母を家に迎えることだったが
帰る日にちを決めたときに真っ先に頭に浮かんだのが
大通公園のビヤガーデン。
毎年今頃ビヤガーデンだなとはるか遠くから想いを馳せていたが
今年は行けるかも!
友達と行けたビヤガーデン。
イギリスに行ってからずっと憧れてた。
暑い中外で飲むビールはやっぱり美味しい。
騒々しい中大声でしゃべっていたせいか
帰る頃には声が涸れてしまった。
私に付き合ってくれた友達、ありがとうございました。

続里帰り2013-2

母が家に戻った日疲れて昼寝でもするかなと思っていたが
嬉しさと興奮で夜になってもなかなか寝付けなかったようだ。
そして3日間くらいは母のおしゃべりが止まらなかった。
話したいことが山ほどあったようだ。
実家は母の帰宅に合わせて玄関、廊下など
必要な場所に手すりをつけておいた。
母は出かけるときは杖を使い、自宅では杖無しで
伝い歩きをしながら生活することにした。
最初の2,3日は家の中での移動はぎこちなかったが
あっという間に勘を取り戻しスムーズになった。

骨折と持病以外は母は健康そのものだった。
毎日が楽しくて仕方ないのが伝わってきた。
6月に約束していた通り二人で美味しいものを食べたり
買い物に行ったりした。
母はスーパーマーケットでカートを押しながら
かなり広範囲に移動できた。
帰ってくると今日はいい運動をしたと言った。

母とよく食べた。
暑いのもあって母の好物。
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こちらは六花亭のミニパフェ。
母の大好きなアイスクリーム。

母のスケジュールは週に3回のヘルパーさん。
週2回のデイケアー。
週に1回の訪問看護。
このスケジュールは母が自宅に戻った2日後から始まった。
合間を縫って妹の納骨堂へのお参りや父の施設の訪問。
母は疲れていないだろうかと心配しながら
それ以上に私も母も退院できた嬉しさでハイテンションになっていた。
さすがに2週間近くなると母に疲れが見えてきた。
イギリスに戻って10日ほど経った。
電話で聞く母の声はとても元気で安心する。
母は私が帰ってしまったのは寂しい反面
自分の生活のリズムを取り戻してほっとしているようだ。

自宅に戻った母の嬉しそうな顔。
母をたった一人でこの家に帰さず
私が迎えることができて本当に良かった。
もし今回帰国することができず母を一人で
退院させたら絶対に後悔するだろう。

続里帰り2013-1

仕事に復帰して初めてのお休み。
いつも日本から戻って時差ぼけと戦いながらの最初の週はとても疲れる。
お休みが待ち遠しかった。

今回も6月と同じフィンランド航空を使って中部国際空港に着いた。
前回は気づかなかったが今回出発ロビーでこんなものが目に入ってきた。
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遊び心がいいな。

今回も友達が千歳空港まで迎えに来てくれた。
今回も空港内の温泉に泊まり疲れを取りたかったのだが
ハイシーズンで温泉は満室だったので諦めた。
ランチを取ったらもう何もかも美味しくて仕方なかった。
そしてまた友達の車を借りて自宅へ向かった。
もう夕方になっていたので母の病院へは
翌日の日曜日に行くことにしていた。

母の退院は8月1日に決まっていた。
しかし母には7月の末にまた来ると言ったきり
正確な日にちは伝えていなかった。
日曜日の午前中に母の病室を訪ねると私を見た母はびっくりしていた。
嬉しさがあふれ出るような満面の笑顔で私の手を取った。
あんな嬉しそうな母の顔を見たのは私の花嫁衣裳を見たとき以来だと思った。
あとで母が言っていた。
いつも病院食を残さず食べていたのに
あの日はあまりにも嬉しくて胸がいっぱいで
お昼を全部食べられず珍しく残してしまったと。

5週間ぶりに見る母はとても元気そうだった。
同室の人たちとも仲良く和気藹々としていた。
みんな退院の近い人ばかりだったのでよけい明るく感じた。
退院まで毎日病院へ通った。
母はリハビリを私に見て欲しいなと言っていたので
退院する前日に見せてもらった。
理学療法士の方が病室まで迎えに来てくれる。
リハビリ室に向かう長い廊下を歩く母の足取りは
5週間前に比べるとかなりしっかりしていた。
1時間かけた午後のリハビリはマッサージから始まり
足を使ったメニューが何種類かあり
長い廊下を2往復する。
最後に階段を登り降りてくる。
全て杖無しだった。
足を使ったメニューの中で私が驚いたのは
サッカーボールを使った訓練。
骨折していない右足でサッカーボールの壁蹴り。
戻ってきたボールを蹴った同じ足で止める。
軽く蹴るだけでいいですからねと言われているのに
母は壁に穴が開くのではないかと思うくらい力強く蹴り
見事にその足でボールを止めていた。
最初は蹴っても同じ足でボールは止められなかったそうだ。
お世話になった3人の理学療法士さんとの関係もいいのが見て取れた。

母から退院する前日に渡す看護婦さんと理学療法士さんへの
お礼の菓子折りを頼まれていた。
特にお世話になった3人の理学療法士さんへも個人的に
イギリスのチョコレートを頼まれた。
理学療法士さんは最初受け取りを辞退されてしまったのだが
母が頼み込んでもらってもらった。
翌日チョコレートが美味しかったと言われて
母はとっても嬉しかったそうだ。
退院する時エレベータの前に看護婦さんが集まって見送ってくれた。
3ヶ月もいたのだと思わされた光景だった。

車に乗り込んで家に向かった。
友達が貸してくれた車であること。
他の友達にも本当によくしてもらっていることを
車の中で話していると母が
「みんな善い人ばかりで涙が出てくるね。友達は大切にしなさいよ」と言い出した。
私は驚いた。
今まで泣くということがない母だったので
とにかく驚いた。
そして骨折してから自宅へ戻れるまでの3ヵ月半
母はいろんな経験をしたのだろうと思った。

ご対面

昨日の朝6時に実家を出てイギリスの自宅にたどり着いたのは
日本時間の午前3時を過ぎていた。
前回の6月とは違って夏休みとお盆休みの終りにぶつかり
空港は千歳、成田、ヘルシンキとどこも混んでいた。
乗り換えの時間が非常に短いフィンランド航空の利用は
かなり緊張する。
前回ヘルシンキでセキュリティーを通るときに
エックス線を通す籠にパスポートと搭乗券を忘れたので
同じことを繰り返さないようにと自分に言い聞かせた。
昨日ヘルシンキ空港のセキュリティーにたどり着いたら
マンチェスター行きは8番に並ぶように言われたのに長い列。
周りの乗客は同じく乗り換えの時間がない人ばかりで
みな一様に焦っていた。
待っている間に搭乗時間の3時半は過ぎていた。
ゲートに着くともうファイナルコールで飛行機に乗り込んだ時間が
出発時間の4時5分だった。

予定通りにマンチェスターに到着した。
相変わらず上空は厚い雲に覆われていた。
気温は15度くらいで寒く感じた。

迎えに来てくれた夫がタクシーを待つ間に左手を見せた。
結婚指輪をしていない。
夫は迎えに来る途中の電車の中で気づいたけれど
はずした覚えがないと言う。
家に着いてからさっと探してみるが見つからない。
なぜかベッドルームと私の頭の中に浮かんできたので
そこを探すように言った。
戻ってきた夫が左手を見せる。
指輪をしている。
ベッドのシーツの中にあったそうで全く記憶にないと言う。
寝ている間に自分ではずしたようだ。
指輪を自分からはずすような夢を見ていたのか?

我が家でやっと会えたのが蘭の花。
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1週間ほど前から咲き出した。
3年も待った甲斐があった。

母は見事に復活してくれた。
今回もう一度帰ることができて本当に良かった。

里帰り2013-4

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今回の里帰りは変な感じだった。
実家には誰もいなかった。
そうなるとはわかっていたものの
実際体験すると余計そう思えた。

自分一人だけ。
母の日々の生活を体験しているようだった。
最初の週は母の様子が少しおかしかったので
認知症を疑ったりした。
今の現状をどうするかだけ考えていたけれど
本当はもっと先のことを考えなければいけない。
今回母は回復して実家に戻れるけど
近い将来のことも考えていかないといけない。
毎日最低2度は電話をかけてくれる夫に愚痴ると
やっぱり今回は帰らないほうがよかったんだよと言われた。

次回の母の退院への準備もできた。
3週間の里帰りが終わりに近づいてくる頃には
今回帰ってきたよかったと思えてきた。

たった一人の食事は寂しいものだ。
美味しいものを食べようと思っていたが
一人だとどうでもいいようになってしまった。
母が「退院したら美味しいもの食べようね」と言っていたので
今はそれを楽しみにしている。

今回の里帰り直前に初めて勤めた会社の先輩たちと連絡が復活した。
タイミングがよく滞在中に会えた。
もう出会いは30年ほど前になる。
会社を辞めた後も付き合いがあったが数年前から
連絡が途絶えていたところだった。
入社は一年しか変わらずみな新卒で勤めたところだったので
なんとなくまだ学生気分が抜けないままの社会人なりたてだった。
私の失敗談をいまだに覚えていて笑い話になっていた。
私は庶務課で経理を担当していた。
支店長の名で慶弔の電報を打つのも私の仕事だった。
もう何回も打っていたので考えずにスラスラと電話していたのだが
電話を切ると先輩の一人が「今小松正夫(コメディアン)って言わなかった?」
私が言わないよと相手にしないとすぐそばにいた課長が
「小松正夫って言ってた」と言われた。
そこで庶務課一同大笑い。
支店長の氏が小松だった。
しかし名前は正夫ではない。
ひとしきり笑った後青くなって電報局に電話した。
事情を話すと笑われたが電報は直してくれた。

毎回大学時代のお世話になっている友達。
両親の悩みを聞いてもらったり
妹が亡くなってからは毎年空港まで送ってくれて
見送ってくれる。
7月末に再度日本に向かうその時も
また色々とお世話になってしまう。
本当にありがとう。

7月末から8月にかけてまた日本へ。
二つの場所を行き来していると
どちらが現実なのだろうと思ってしまうことがある。
どちらも現実なのだが。

まずは体調を維持して次回に望みたい。

里帰り2013-2

千歳空港について今年も空港内の万葉の湯に泊まる予定だったが
チェックインが五時と遅く一時ごろ着いた私は寝不足と時差ぼけで
ボーっとして時間を持て余していた。
千歳に住む友達に電話をすると息子さんを連れて会いに来てくれた。



その後今回車を貸してくれる友達もわざわざ車を空港まで持ってきてくれて
私たちと合流。
毎年毎年お世話になります。
友達の顔を見るとほっとした。

その日は温泉に浸かって夕食にお刺身と中生ジョッキで疲れを癒した。
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翌朝実家に戻ったが迎えてくれる人は誰もいなかった。
変な感じだなと思いながら空気の入れ替えに
窓を開けていくと裏に住むお宅で物音がした。
おじさんだ。
脱衣所の窓から顔を出して「おじさーん」と声をかけると
「お母さんどうしちゃったの?夜も真っ暗で誰もいないよ」とおじさんの一声。
この家に越してきて20年、裏のおじさんには何かとお世話になっていた。
母が家で転倒し、今は病院にいることなどを説明して
おじさんも安心してくれた。

お向かいにも挨拶に行った。
母のために救急車を呼んでくれご主人が病院まで付き添ってくれたのだ。
こちらのご主人も奥さんもとても良い方々で
私の事情もわかっていてくれて母のことをできる範囲で見守ると
おっしゃってくれ電話番号まで教えてくれた。
ご主人は今年は町内会の班長さんで雪かきもしてくれていた。
妹が亡くなったときも思ったのだが
本当にいいご近所に恵まれていた。

母の病院を訪ねた次の日は老人健康施設にいる父を訪ねた。
ここ毎年のように父に会うときは「私誰かわかる?」と試している。
施設の大きなテレビの前のレザーソファに座る父。
今年も同じ質問をした。「わかるよ。〇〇ちゃん」と言ってくれたので
ホッとした。
父は扱いやすい入居者のようでスタッフの方々に
良くしてもらっているようだった。
穏やかな表情だったので安心した。
帰り際にスタッフの方がイベントのときに取った写真を見せてくれた。
父は満面の笑顔で写っておりそれも私を安心させた。
あまりにもいい笑顔だったのでいい写真ですねというと
持ち帰ってもいいと言ってくれたので2枚の写真をもらってきた。

その写真は携帯で写真を撮り夫にメールで送った。
夫はその写真の父の笑顔を見てホッとしたそうだ。
電話で話しているとホッとしたと同時に
なんだかわからないけれど涙が出てくると
夫はまた泣いていた。

その翌日は今まで両親の面倒をみていてくれた叔父の見舞いに。
叔父も病に倒れていたのだ。

里帰りの始まりはこんな感じだった。

里帰り2013-1

先週の土曜日夕方にイギリスに戻った。
相変わらず厚い雲に覆われたマンチェスター。
昨日は一日中時差ぼけで眠く睡魔との闘い。
そして今日から仕事。
昨日日程を聞きにデイブを訪ねると
夫の目の前で私に抱きついて離れなかった。
歓迎される職場に戻れるのはいいことだ。

フィンランド航空の朝食は離乳食かと思わせるような
お粗末なものだったので
中部国際空港の一時間の間に一昨年行ったお粥やさんへ直行。



日本滞在中はほぼ毎日母の病院へ顔を出していた。
最初の4,5日は母の頭は混乱していたたようだが
リハビリは順調で杖無しでも少し歩けるようになっていた。
父も施設で落ち着いている暮らしぶりが見えた。
これからのことを考えなければならならことがまだまだあるが
今回は滞在中の間にできるだけのことはして戻ってきた。
詳しくはぼちぼち書いていこう。

里帰り2012-歯科

毎年実家の近くにある歯科にお世話になっている。
今年はさらにお世話になってしまった。
話は去年の里帰りに戻るのだが
いつもの歯科にお世話になった時
先生が左下奥歯のブリッジの下の歯に
虫歯があることを見つけた。
毎年通える期間が限られていることを言っているので
先生は時間的に治療は無理なので
住んでいるところで治療してもらうようにと言われた。
去年の7月にイギリスの歯科に連絡を入れたが
まだ登録をしてもらっていなかったので
1ヶ月以上待たされた。
しかしその歯科で私が日本で治療を受けたと言ったら
それが原因で治療を拒否されてしまった。
その後他の歯科を探して登録のし直し
待たされること6ヶ月。
その間に虫歯が痛み出し右下奥歯の
かぶせ物も取れてしまう。
ようやく受けた治療は左奥歯二本の抜歯。
それしか治療法がないと言われた。
その代用になる入れ歯の話もなし。
右奥歯のかぶせ物は作らず詰めただけ。
この詰め物は2回も取れた。
2回目の詰め物が取れたのは里帰りする
2週間ほど前だった。
イギリスの歯科に連絡を取るか迷ったが
今年は3週間の里帰りなので
まずは里帰り中にどれだけ治療してもらえるかに
賭けることにした。

日本の歯科にはイギリスから予約を入れておいた。
まず助手の方が歯のチェックをしてくれた時に
歯を抜いたままにしてある左奥歯を見て
入れ歯はなさらないのですかと不思議がっていた。
そして先生の診察。
去年までのレントゲンを見ながら
私の口の中を見た先生が悲痛な声を上げた。

先生「あの奥歯抜いちゃったんですか?」

私は今までイギリスに住んでいることを言っていなかったが
事情を説明した。
治療を受けるのに6ヶ月以上も待たされ
その間に痛み出したこと。
イギリスの先生に抜く以外に方法がないと言われたこと。
その間に右下のかぶせ物も取れてしまい
詰めてくれたがそれも2回も取れてしまったこと。

先生が最初に言ってくれたのは
「かわいそうにこれじゃちゃんと食べられないでしょう」だった。
私がいつまで歯科に通えるかと言うと
その日のうちに必要な治療の計画を立ててくれた。
入れ歯も作り、かぶせ物が必要な歯の根元に
根幹治療が必要なそうで治療は
帰国ぎりぎりまでになりそうだった。
私は毎日でも来ますと言って治療を始めてもらった。
治療はほぼ毎日1時間位していただき
それは帰国前日まで続いた。

先生は通うたびにあの歯を抜いちゃったんだと
ショックを受けていた。
そして私の変わり果てた口の中を見て
このままイギリスに帰すわけにはいかなと
思ってくれたのだろう。
その何日か後に先生が説明してくれたのは
抜いてしまった左下奥歯二本のうち一本は
確かに虫歯であったが
治療すれば抜く必要はなかった。
歯の根さえ残っていれば銀歯を入れるなどできて
入れ歯は必要なかったと。
先生にしたら根さえ残っていれば
何とかできたのにと残念でしかったなかったようだ。

治療の期間半ばくらいでどうやら
目途がついたようで先生がほっとしていた。
新しいかぶせ物も入れ歯も急がせて
注文してくれたようだった。
先生も受付の奥様も助手の方々も
本当に一生懸命やっていただいてありがたかった。
去年の11月にかぶせ物が取れてから
まともに噛み砕くことができなくなっていたので
入れ歯とかぶせ物が入ってちゃんと
両奥歯で物を噛めるようになった時は
嬉しかった。
皆さんが一丸となって私が上手く食べられるようにと
手を尽くしてくださった。

治療最後の日には皆さんにお礼を言った。
先生がまだ気になる歯はありますが
来年治療しましょうと言ってくださった。
この日イギリスからのお土産を手渡した。
チョコレートと紅茶。
奥さんに歯には悪いと思うのですがと言うと
いえ、喜んでいただきますと言っていただいた。

本当にありがとうございました。
いま食べられる幸せを噛み締めています。

追記
最初の治療の日に先生が私の口の中に見つけたものは
抜歯した歯の破片だった。
自分でも歯茎の表面に固いものがあるとは思ったのだが
まさか破片が残っていたとは。
抜歯の4週間後に抜歯あとのチェックをしてもらっている。
日本の先生がピンセットで取って見せてくれた。
同じ歯科医として先生のほうが驚いていたかもしれない。

里帰り2012-食べ物

今年の母は去年より一段とパワーアップした感じだった。
父の介護もあるので弱ってはいられないのだろう。

ある日の朝食。
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母の作る朝食は量がある。
この朝食を食べ終わる頃にはお腹がはちきれそうになる。
母の元気の元はこの朝食なのだと思った。

そんな母と食べ歩きしたのがまずは
かねひろのジンギスカンランチ。
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お肉が柔らかくて美味しかった。
イチゴまるごとアイスのデザート。
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楽しみにしていたなごやか亭のお寿司。
まずはウニとぼたん海老。
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そして大トロ。
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口の中でとろけた。

やはり日本は美味しい。
今年体調を崩しての里帰りだったので
元気な母とその食べっぷりを見て
食べることの大切さを実感した。
イギリスだと何か食べなければと
義務感で食べていたが
日本は何もかも美味しくて身体が喜んでいるのがわかった。