続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

両親

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母の笑顔

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この写真は母の訪問看護師さんがメールで送ってくださった。
満面の笑顔の母。
私でもなかなか母の笑顔は撮れない。

私が里帰り中に母の訪問看護が始まった。
初日に来てくださったこの看護師さんを母は一日目で気に入ってしまった。
横で見ていて母がこの方を信頼しているのがわかった。
体調を診てもらい体操や散歩を一緒にしたり
それだけでなく話し相手にもなっていただいているようだ。

この写真を撮る前の週に看護師さんから来週写真を撮って
娘さんに送るから綺麗にしていてねと言われた母は
美容室に行き、お気に入りのセーターを着たようだ。

写真で手にしているのはクリスマスカードだそうで
それを書くのを手伝ってくれてイギリスまで
送ってくれるとのこと。
妹が生きていた頃は妹が荷物を送ってくれて
その中に母からのものもあったが
妹がいなくなってからは母がイギリスまで
手紙や物を送るのは大変なので私も頼んではいなかった。
だから今回母が書いたカードが送られてくるのは
母にも私にとっても嬉しいことだ。

塗り絵

母は子供の頃絵を描くのが好きだった。
学校で何度が貼り出されたこともあったそうだ。
私が小学校一年生の夏休みの宿題で絵があったのを
母がほとんどやってしまったのを覚えている。
一年生にしてはあまりにも上手な貼り絵に
私は先生にばれるのではないかとひやひやした思い出がある。

妹が亡くなった後何か母のできる事はと思い
好きだった絵と考えて「大人の塗り絵」と色鉛筆を贈った。
一時期母は夢中になってこの塗り絵をやっていた。
その後母はやはり妹を亡くして頑張りすぎ精神的に
バランスを崩してしまった。
1年半の入院生活を経て復活してきた母。

その後父と二人で元の生活に戻っていったが
今度は父が少しずつ認知症の症状が出てきた。
デイケアーに週一度通っていた母だったが
デイケアーに行ってもまた塗り絵をやろうという気にはならなかった。

父の症状が進み母一人では世話ができなくなってきた。
この1月に父には老人健康施設に入所してもらった。
父を施設に預け母がほっとしたのもつかの間で
今度は母が大腿骨骨折とあわただしい2013年。

骨折から見事に復活した母はとても元気だ。
娘の私が感心するくらいだ。
80年間の母の人生で初めての一人暮らし。
精神的にも落ち着いてきたのかまた好きだった塗り絵を
デイケアーで始めたそうだ。
花の塗り絵の本がもう終わるそうで今度は鳥の塗り絵に入る。
クリスマスプレゼントにと今36色の色鉛筆と
新しい塗り絵の本を探している。
母は6年生の時に犬の絵を描いてコンクールに出されたそうだ。
動物がいいなと言うので探しているがなかなか動物の絵が無い。
見つけたのがピーターラビットの塗り絵で
イギリスにも関係があるので母がいいといえばそれを贈りたい。

母が退院してから驚かされるのは母の好奇心。
私が今年始めたポリマー粘土を見て母もやってみたいそうで
来年の里帰りに教えて欲しいと頼まれた。
嬉しい驚きである。
母がやりたいという事は何でも手伝いたい。

母と50年以上親子をやっているがいつも驚かされる。
いい意味で期待を裏切られる。
そして本当に強い人だと思う。
もし私の身に母に起こったようなことが起こったら
私はそこから復活できるほどの強さがあるだろうか。
80歳で新しいことに挑戦しようという好奇心を
もっていられるだろうかと自問してしまう。

母、その後3



日本に着いた翌日母の病院を訪ねた。
母が骨折する前日に電話で話して以来でほぼ2ヶ月ぶりだった。
母は私が来る日は知っていたものの私の顔を見ると
ぽかんとしたような反応だった。
リハビリは毎日2時間ほどで母はもう杖で結構歩けていた。
杖無しでも歩けるよと数歩歩いて見せた。

母は私の顔を見たら退院できると思っていたようだった。
最初の週の金曜日に医師、理学療法士、看護師、家族、患者で
状況の説明があった。
母はそれは退院に向けてのものだと思い込んでいたようで
私が行ってから4,5日は私の言うことを聞いていなかった。
3ヶ月はリハビリのためにこの病院にいること、
母の退院時に合わせて私がまた来ることを何度か言っていたのだが
帰ってきたいなら帰ってくればいいしょと簡単に答える。
私は母が上の空なのがわかり母の認知症が
始まってしまったのではないかと心配になった。

説明会で母はまだ帰れないことを理解した。
翌日母に前日に説明されたことがわかったかと聞くとわからないと言う。
もう一度一から説明をし直した。
母が自分の家に帰って一人で生活ができるようになるまで
リハビリが必要なので今すぐには帰れない。
7月末の退院に合わせて私が帰ってくると言うと
「帰ってくるの?」と初めて聞いたような顔で聞きなおした。
やっぱり母は聞いていなかったのだ。
また翌日見舞いに行くと母は
「昨日帰ってくるって言っていたけどそれはどういう意味?」と訊かれた。
ずっとは帰ってこれないけれど3週間ほど
母が一人で生活できるように見守ると言うと
少し安心した顔をした。

2週目に入って見舞いの時間帯が悪かったようで
寝入りばなだったり、深い眠りに入っているときだったりで
母はしばらくボーっとしていることが多かった。
2週目も母の頭は大丈夫だろうかと不安だった。

3週目に午前中だと母はまだ疲れておらず
頭もはっきりしていることがわかりその時間に見舞いに行った。
3週目は以前の母と同じだと安心できた。

母の回復は目覚しかった。
杖を持たせれば理学療法士の方がそんなに早く歩かなくてもいいと
言うほどスタスタと歩いていた。
杖無しでも長い病院の廊下を難なく歩いていた。
母は家に帰りたい一心で頑張っているのがわかった。
出された食事も残さず食べる。
説明会でも医師は健康状態はとてもいいと言っていた。
その説明会で母は夜中にトイレに行くとき
看護師さんの手を煩わすのが申し訳ないと言った。
婦長さんはそれは自分たちの仕事だから気にしなくていいと
言ってくれた。
その時医師が夜中のトイレも一人で行っても大丈夫と言った。
しかしこれが裏目に出てしまった。

11日母の身元責任者の従兄弟に電話が入った。
夜中トイレに一人で行った母が転倒したと。
幸い怪我はないとも。
母は夜寝る前に睡眠薬を飲む。
その状態でトイレに行くのは心配だった。
14日あたりから母は左脇腹が痛いと言い出した。
14日に1時間だけ母は理学療法士、ソーシャルワーカーと
自宅訪問をした。
自宅に戻ったらどのように暮らすのかを見て
必要であれば手すりの設置などを決める訪問だった。
その日母は病院ではしない体勢を取ったので
筋肉痛ではないかと言っていたのだが
しばらく痛みが続いていたので19日にレントゲンを取ってもらった。
母にどんな痛みと聞くとしびれる感じと言っていたので
嫌な予感がしていた。
その予感は的中。
左肋骨の8番目が骨折していた。
医師の説明によるときれいに折れていて肺を傷つけるような
状態ではないのでバンドか湿布で対処できるそうだ。
さらに医師が言うには過去にも肋骨を折った痕があると。
自然に治っていてどうやら母は痛みに強いようだ。
しかしこれ以上骨折されると家に帰れなくなる。
病院に母の夜中のトイレ付き添いを頼み
母にもきつく看護師さんを呼んで一人でトイレに行かないように
言い聞かせた。

滞在最終日も病院で説明会があり
その後自宅に手すりを付ける工事の見積もりをもらい
申請の手続きまでしてもらった。
あとは私がいない間従兄弟の立会いで工事をしてもらい
母が戻ってくるときには手すりは付いていることになる。

とりあえず今回できることはやってきた。

母、その後2

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母は順調に回復しているそうで
一日2時間のリハビリを受けている。
食欲もあるし身体のほうはいたって健康のようだ。
今年の里帰りは誰もいない実家に
一人で帰るのかと思うと寂しい気がしていたが
母が前向きに頑張っているのに
こんなことではいけないなと思えてきた。

今日で仕事を終え明日一日休んで荷造りをし
土曜日に日本へ向かう。
夫は今年もお留守番。
冷凍庫はレディーミールがいっぱい。
何とか3週間生き延びてもらいましょう。

3週間ほど留守にします。
母と父を見舞いながら北海道の太陽と
美味しいものを堪能したいです。

母、その後1

母が入院してから10日経った。
日曜日に母を見舞ってくれた友達からの話だと
母は順調に回復していてリハビリも始まっているそうだ。

私は母がお弁当屋さんのために玄関の鍵を開けて
フローリングに上がる時に転んだと思っていたのだが違った。
母は鍵を開ける前に転んだそうでそれでも何とか鍵を開けて
その後動けなくなっていたそうだ。
30分以上はその場にいたようで
母はその間に色々とどうするか考えていたのだろう。
母は昔から緊急時に機転が利くことがあった。
母は救急員に母の持病の薬を持っていけるように頼み
緊急連絡先も告げることができたようだ。
こういうときの冷静さはさすが我が母と思う。

友達に「リハビリ頑張らなきゃ」と言い、
私への伝言は「入院して太ったよ、元気だよ」だった。
母の強さを信じるしかない。
言葉通り頑張ってくれるだろう。

大腿骨骨折

先週の日曜日休憩で社員食堂にいると携帯が鳴った。
母の携帯からだった。
なぜタイミングよく休憩時間にと不思議に思って電話に出ると
両親が世話になっている叔父の息子、従兄弟からだった。
その日母が自宅玄関で転んで大腿骨を骨折し
病院に入院したという知らせだった。
言葉を失った。
その前日母とは電話で話をしていた。
母は元気で冬の間も近所に買い物に出かけたり
雪道を歩いていた。
元気とは言っても今年80歳になる母なので
転んで怪我や骨折をしたら大変だと
いつも気をつけて欲しいと言っていた。
春がやってきてほっとしたところだった。
母は玄関の土間からフローリングに上がるところにつまずいて
転んだそうだ。
お弁当屋さんが来るので鍵を開けたところだった。
幸い配達に来た方に発見されお向かいが救急車を
呼んでくださった。

火曜日には骨折部分をプレートで留める手術を受けた。
寝たきりになるのを防ぐため早急に手術し
もうリハビリも始まっている。
3週間ぐらいで自宅に戻れるそうなのだが
自宅に戻っても一人なので
その後はリハビリ施設の整った病院へ転院し
リハビリをしっかり受けて自宅に戻れるようにするそうだ。
私は6月に里帰りをする予定なので
母が自宅に戻れる時期と合えば
自宅で生活できるように手助けできそうだ。

本当ならすぐにでも日本に帰って母の面倒を看たいところだが
仕事がある。
夫は働けないので私が仕事を辞めるわけにはいかない。
だけど私の両親は高齢で何時何があってもおかしくない。
そんなジレンマが頭の中をグルグルしていた。
娘なのに申し訳ない。

従兄弟や友達は大丈夫だと言ってくれる。
今は甘えさせてもらうしかない。

不幸中の幸いが沢山ある。
骨折はしてしまったが頭を打ったりしていない。
父は施設にいるので父の心配をしなくても大丈夫。
私はこれから日本に帰る。

日本を出ると決めたとき覚悟しなければ思っていたが
こういうことが起こると覚悟なんて
全くできていなかったとわかる。

老人保健施設

父が老人保健施設に入って1ヶ月あまりが過ぎた。
1年以上前に母がこれ以上父の面倒を看るのが
体力的に限界にきていると相談された。
母はあまり泣き言を言わないのだが
何かを口にしたときは本当に限界にきている。
遥か異国に住んでいる私はすぐに日本に帰ることはできない。
ここ数年は夫の怪我で私の仕事で家計を支えているので
安易に仕事を辞めて日本に帰ることもままならない。
すぐに両親がお世話になっているケアーマネージャーさんに
連絡を取って相談に乗ってもらった。
ケアーマネージャーさんの出してくれた案は
1、特別養護老人ホームへ申し込みを始める。
  これは待ち時間を考えなければならない。
2、特別養護老人ホームの空きが出るまで
  老人保健施設に入所する。
3、救急処置としてショートステイで何日か
  父を預かってもらう。

母に3つの案があることを説明すると
八方塞ではないと安心したのか
まだ限界と言うわけではないので
もう少し頑張れると言った。
それでも特別養護老人ホームの申し込みだけは
しておいたほうがいいと思い。
叔父とケアーマネージャーさんに手続きをお願いした。

昨年里帰りで実家に帰ったときの父は
やはり認知症が進んでいた。
それでも母はまだ大丈夫と言っていた。
元旦に母に電話をしたときは元気だったのに
7日に電話をしたらもう限界だと
涙声になっていた。
特にひどくなったのはお手洗いだ。
母は1日に3度も4度もトイレ掃除や
洗濯でクタクタになっていた。
母はストレスか風邪だったのか
食べたものを戻すようになった。
これは本当のSOSだと思いすぐに
ケアーマネージャーさんに連絡を取った。

まだ特別養護老人ホームの空きはないが
両親が通っているデイケアーと同じ施設に
老人保健施設があり
そこにタイミングよく空きが出たので
手続きが終わればすぐに入所できることになった。
叔父とも相談してすぐに話を進めてもらった。
父はお手洗い以外にも座っている椅子から
ずり落ちて一人では起き上がれなくなったり
ストーブの前でつまずいて火傷しそうになった。
もう24時間の介護が必要なのだが
それを母一人に負わせるの無理過ぎる。

ケアーマネージャーさんからメールで朗報をもらったと
起きてきたばかりの夫に言ってパソコンに向かっていた。
すると夫の様子がおかしいので見てみると泣いていた。
泣いてるのと聞くと私の父や母のために
施設に入るのがいいのだとわかっているのだけど
やっぱり父が不憫だと言って涙を拭いていた。
私は現状を何とかしなければとそれだけを考えていたが
夫の涙を見てこっちまで涙が出てきた。
しかし感情的になってはいられない。
私ができることを異国からしなければと思った。

父は一目ぼれかと思うくらい夫に会って
一目で夫を大好きになってしまった。
言葉は通じないのに夫も父を好きになった。
夫は父はいないものとして生きてきた。
だから無条件に夫を愛する私の父を
夫も好きなのだと思う。
イギリスの老人ホームしか知らない夫なので
あまりいいイメージがなく余計父を不憫に思うのだ。

娘として私も父を不憫に思う。
やはり母と自宅にいたいのが父の本意だと思うが
それでは両親共倒れになってしまう。

様子を見る3週間が過ぎてから経過報告を受けた。
父は昼夜とも失禁することはなく
食欲もあり施設での生活に馴染めているそうだ。
報告を受けて安堵した。

この施設は理想的だった。
デイケアーと同じ施設なので顔見知りのスタッフがいる。
週に1度デイケアーにいく母が父に会いに行ける。
ケアーマネージャーさんがとても信頼できる方だ。
父と会ってきた母も顔色がよかったと安心してた。

四人家族だった。
私が最初に実家を出てその後妹が亡くなった。
そして父を施設に入れてしまった。
今はあの家に母が一人になってしまった。
父は昔から母の話し相手にはならなかったが
それでも母にとって一人は寂しいだろうと思う。

涙していた夫を見て思った。
私は現実的だと。
感傷的になってもすぐに現実に戻って
次に何をすべきか考えてしまう。
昔からそうだったかもしれない。

そして今回取った選択は間違っていないと思っている。