続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

2016年07月 の記事一覧

お米の力

職場で備品を注文するのにパソコン入力する。
その画面に行くまでにIDやらパスワードやらを入力するのだが
私のパスワードを入れると拒否されてしまった。
庶務課のパムに助けてもらった。
パムがもう一度私のパスワードを入れてくれたら上手くいった。
パムが私のパスワードをみてこれってKemmiの生年月日?と聞かれたので
そうだと言うと自分より私が年上とわかってびっくりされた。
同じ部屋にいたミシェルにもKemmiは私たちより年上だよと言って
驚かれてしまった。
2人とももうお孫さんがいる。

イギリス人は日本人に比べると20代を過ぎるとふけて見えるかもしれない。
日本にいたら私は年相応または上に見られるかもしれない。
白髪も全く染めていないので凄く若く見えるはずは無いのだが。

どうしてそんなに若いのと聞かれて気を良くした私は
たぶん毎日お米を食べているからだと思うと言っておいた。

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事実は小説より・・・

興味深く観ている番組の新しいシリーズが始まった。
「Long lost family」
様々な事情で生き別れとなってしまった家族を探す番組だ。

今週の放送は事実は小説より奇なりの内容だった。
50代半ばの女性が生き別れた弟を探してほしいというものだった。
女性が6歳の頃に家に戻ると小さな赤ちゃんがリビングにいた。
誰なのかわからなかったが可愛くて赤ちゃんの手を触ると
小さな手で女性の指を握った。
その数時間後には赤ちゃんの姿は見えなくなった。
誰に尋ねることもできなかった。
ある日母親が留守にしていた時に母の日記を見つけた。
そしてその赤ちゃんが父親違いの自分の弟だとわかった。
母親は妻子ある男性の子を生んだので手元に置くことができなかった。
それは家族が皆知っている秘密だったことが
母親の葬式のときにわかった。

女性は母親が亡くなってから弟を探したが見つける事はできず
今回この番組に助けを求めた。
番組ではある時までは男性の消息を掴んだが
ある時期からわからなくなってしまった。
海外へ移住してしまったのか亡くなったのか。

ケネスと母親が名づけた男性は養子先でジョンとなった。
そして10年ほど前に彼はデビーになった。
ずっと自分の性を受け入れられなかった彼は
10年ほど前に心身ともに女性となった。
だから消息がわからなくなってしまったのだ。

番組はプレゼンターの一人がまず弟に会いに行き
お姉さんが探している事を告げる。
弟は感激する。
弟はとてもいい夫婦の養子となり幸せだった。
ただいつも自分の性を受け入れがたかった。
ぜひお姉さんに会いたいと答えた。

その後もう一人のプレゼンターが
お姉さんを訪ね捜査の結果を報告する。
見つかったことを告げると大喜びした。
プレゼンターはもっとすごいことになってしまったと
弟の現在を告げた。
姉は少し驚いたが弟の決断を勇気ある決断と褒めた。
姉は更に続けた。
初めて赤ちゃんに会ったとき男か女かわからなかったし
私ずっと妹が欲しかったのと言った。

再会の日。
二人は抱き合って泣いた。
姉は6歳の頃からずっと会いたかったと告げた。
現在2人はほぼ毎日のように電話で話し
近々デビーは姉のいる町に越す予定だ。

本当に事実は小説より奇なりという言葉が
ピッタリのケースだった。

パールイヤリング

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ロンドンへ遊びに行ったときにビーズ屋さんで
グラスパールを何種類か買ってきた。
それを使ってイヤリング作り。
もともと手本にしたデザインがあったのだけど
出来上がったら全く違うデザインになっていた。
でもけっこういい出来上がりだと思う。

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母の誕生日

今日は母の83回目の誕生日だった。
母は私が3月にイギリスに戻ったあと気落ちして食欲も落ち
35キロしかない体重が更に減ってしまった。
お世話になっている老人ホームでは一生懸命に母の世話をしてくださった。
従弟も母の好物を届けて励ましてくれたりと色々としてくれた。
少し良い方向に向かいだした5月半ば老人ホームでの血液検査で
母の肝機能数値が非常に高くすぐに診てもらうと
検査入院となってしまった。
結局母は肺炎を起こしていた。
母の精神状態を考えると病状が良くなればホームに戻るのが一番で
母をそれを励みに頑張ってた。
6月上旬に肺炎も治まりもう少しで退院できそうだと
ケアーマネージャさんからも従弟からも連絡が来ていた。
しかしそれから1ヶ月近く音沙汰が無くなってしまった。
どうしたのだろうかと思いながらもこちらか連絡をするのが怖かった。
何か悪いことが起こっているのではと思うと・・・

今日は母の誕生日。
母はまだ病院だと思うと辛かった。
朝食後ケアーマネージャさんから明後日退院できますよと
メールが届いた。
どうやら病院がいたずらに母の退院を延ばしていたようで
従弟やケアーマネージャさんの再三の催促で退院が決まったそうだ。
いい知らせだった。
イギリスに戻ってきてからずっと気が晴れることが無かった。
今日やっとほっとした。
母の誕生日だったけど私にとっての最良のプレゼントをもらったみたい。

いつも悩みを聞いてくれるクリスが
No news is good news.(知らせの無いのは良い知らせ)と言って励ましてくれた。
夫も同じことを言っていた。
クリスの旦那さんも心配事があるときはこんな悪いことが起こったら
嫌だなという事は思わないでこうなって欲しいなと思うことを
考えていたほうがいいよとクリスから伝言してくれた。

母に直接誕生日おめでとうとは言えなかったが
良いニュースが届いた日だった。

食卓の花

部屋に飾る花は切らさないようにしている。
前々回のカーネーションが途中で折れたものもあったので
短いものを小さな花瓶に挿して食卓に飾った。
その花も枯れてきたので片付けた。
すると夫が「あれ花が無くなった」と言い出した。
飾っていたときは何にも言わなかったのに・・・

なんで片付けてから言うのと訊くと
食卓に花が飾ってあるといいなと思ったので
花が無くなったら寂しくなったと言う。

花なんか飾っていても気付いていないのかと思ったら
けっこう気に入っていたようだ。
ちょうどバラを買ってきたら一本が途中で折れていたので
それを食卓に飾った。
今度はバラだと夫が喜んでいる。

花の名前もよくわからない夫。
それでも食卓の花一輪で喜んでいる。
不思議な人だ。

元お医者さま

お客様の中にお医者さんを引退された70代の老紳士がいた。
昨日その方の奥様が私のレジにいらした。
ご主人はお元気ですかと声をかけようかと思ったのだが
なぜか止めてしまった。
お支払いのときに奥様があなたは主人と良くお話していたわねと
おっしゃったので実はご主人のことを尋ねようと思っていたと言うと
主人は亡くなったのと言われた。
いつですかと尋ねると去年の11月だったそうだ。
驚いて言葉を失ってしまった。
またねとおっしゃった奥様の横顔は涙をこらえているのがわかった。

ご主人とお話しするようになったのは数年前に遡る。
喘息だったのかいつも吸入薬を使われていて
奥様が買い物をされている間は店内のベンチで休まれていた。
職業柄沢山の元患者さんやそのご家族がこの老紳士に声をかける。
その度ににこやかに対応されていた。

私が奥様にお目にかかるずっと前に老紳士が
奥様との馴れ初めを教えてくださった。
初めて出会ったとき奥様の美しさに一目惚れをされた。
しかし奥様にはもうすでに婚約者がいた。
それでも彼は諦められなくて10回以上もプロポーズをした。
その熱意にほだされたのか彼の奥さんになってくれたそうだ。
妻はもう70歳を超えているけれどまだまだ綺麗で
僕はとっても幸せ者だとのろけられていた。
奥様は今でも綺麗だと言うのはあばたもえくぼと思いながら
微笑ましいお話だと思っていた。
ある日初めて奥様を見たら背筋が真っ直ぐで
本当に綺麗な方だった。
70代を超えていても私が綺麗だと思うのだから
お若かった頃はとてもお綺麗だっただろう。
そして最愛の奥様に見守られてお亡くなりになったのだ。

私のレジにはもう次にお客様がいらした。
しかし老紳士との思い出や奥様とのお話、
そんなことを思い出していると涙が出てきた。
何とか仕事は続けたがきっと事情を知らない次のお客さんは
変に思われただろう。

道路工事だらけ

Roadworks.png

お米が底をついてきたので久しぶりにマンチェスターへ買い出しに行った。
マンチェスターの中心部はいたる所で道路工事が行われている。
チャイナタウンへ行く道はここ数年工事されていて
以前に使っていた道路は通行止めが続いていた。
そこで迂回路を2年近く使っていたのでその道に慣れていた。
前回2ヶ月ほど前に行ったときは慣れていた迂回路をいくと
今度はその道で工事が始まり通行止めになってしまった。
何とか別の迂回路を見つけてチャイナタウンへたどり着いた。
今日は元々のルートでチャイナタウンへ行った。
買い物を終えて帰路に着こうといつもの帰り道に行くと
今度はその道で工事が始まり通行止め。
マンチェスターは買い出しに2ヶ月に1回くらいしか行かないので
慣れた道が使えないとなると私にとってはお手上げだ。
カーナビもあてにならない。
幸い夫が道をみつけてくれて帰って来ることができたが
どっと疲れてしまった。

車でマンチェスターへ行きだしたのはここ6年ほど。
マンチェスターの街中は道路工事が途絶える事は無い。
次回のマンチェスター訪問まで何とか帰路の工事が
終わっていて欲しい。

ダージリン

ボイラーが直り普通の生活ができるようになった。
夫はお湯が出るよと嬉しそう。
リモコンでテレビが消せるとか普段当たり前のことが
できなくなってみるとありがたみがわかる。

もう一つ困ったことが出てきた。
私がいつも飲んでいる紅茶だ。
午前中にいただくダージリンが私には欠かせない。
もう10年以上も続いていたのだが
最初にリーフティーがスーパーの商品棚から姿を消した。
数年前にティーバックがいったん姿を消した。
それは商品パッケージの模様替えのためだった。
数週間前からまたダージリンがスーパーから姿を消した。
あまりにも長く続くのでトワイニングのサイトを覗いてみると
今までのパッケージがなくなっていて新しいパッケージになっていた。
どうやらそのおかげでまだスーパーに出回っていないようだ。
しかし私の手元のダージリンはもう底をつきそうで
いつ商品が店頭に並ぶのかわからないので
トワイニングのサイトから直接買うことにした。
今回私が買ったのは私がもう数年前に製造を中止したと思っていた
50ティーバッグのものだった。
製造を中止したわけではなくただ店頭に並ばなくなっただけだった。
スーパーの紅茶のセクションはどんどん狭くなり
フレーバーティーやグリーンティーが幅をきかせている。
コーヒーのセクションは更に広がっている。

大人買いをしたのでしばらくは大丈夫だが
紅茶好きの私としてはダージリンが店頭から姿を消すのは寂しい。