続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

2016年03月 の記事一覧

形見

1月4日父の通夜の日に日本に着いた。
友達が迎えに来てくれて実家へ直行。
従弟が待っていてくれて私の喪服や必要な物を持った。
従弟が父の棺に入れる物も持っていこうと言った。
父は腕時計をいつもしてた。
風呂に入るときしかはずさなかった。
腕時計は見つけられず父が好きだった帽子や
ネクタイ、手袋を持っていった。

葬儀も終わり数日経ってふと居間にあるダンボールの中を見た。
このダンボールは9月に父が老人健康施設から
病院に入院したとき施設を退所になり
父の衣類や身の回りの物を返されたものだった。
9月、10月は毎日忙しくダンボールの中は
さっと見て衣類ばかりだと思っていた。
今回見てみると中から小さなポーチが出てきた。
開けてみるとその中に数年前私が買ってあげた
父の腕時計が出てきた。
なんだこんな所にあったのかと思った。
棺に入れてやりたかったなと思いながら父の遺影に供えた。

夫から電話が来たのでその話をした。
すると夫が大好きだったおじいちゃんの形見も
2年前に亡くなったお母さんの形見も何一つない。
もし私が嫌でなければその腕時計を
僕にくれないかと言った。

夫の大好きなおじいちゃんは駅に勤めていた。
駅に戻ってきた列車を馬を使って方向転換する係りだった。
馬の手入れをしていて馬に着ける真鍮の飾りを
いつも家で磨きながら夫に俺が死んだらこれは全部お前の物だと言っていた。
8歳の時おじいちゃんが亡くなって夫がおばあちゃんを訪ねて
あの真鍮の飾り物をもらいにきたと言うと
お前にやるものは何もないと言って他の孫にやってしまったそうだ。
このおばあちゃんは後妻で夫と血のつながりはなかったので
自分の血縁の孫に全てをやってしまったそうだ。

2年前に亡くなったお母さんは高価なものではないが
指輪やネックレスなどを残していた。
これは一番下の弟が独り占めし、他の兄妹に分けることも無く
金目当てに売り払ってしまった。
夫は自分には何もなくてもせめて姉や妹には
指輪の一つずつでも形見に残せたらと思っていたので
この弟とはもう口をきいていない。

父は夫が大好きだったので夫に形見としてもらってもらえたら
こんなに嬉しい事は無い。
父の時計を自分にと言ってくれた夫の気持ちが嬉しくて
涙ぐみそうになった。

この話を従弟にするとそれはきっとそういう運命だったんだよ。
私の夫にもらって欲しくておじさんが隠していたんだよと言ってくれた。

何も持っていなかった父だったが
いつも肌身離さずつけていた腕時計を
夫がもらってくれたのは何よりの供養だと思う。

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母と父

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この生花は母が老人ホームの活動で生けた。
花が好きで生花もたしなんでいた母は花を生けているときは
認知の症状も落ち着き楽しんでやっているそうだ。

母の中では父はすでに亡くなっていた。
母が辛い認知症の治療の中であとに残してきた父が心配で
母の世界でもう亡くなったことになったのだと思う。
ところが父の葬儀や初七日が終わった頃
急に母が「父さんは?」と尋ねた。
私は咄嗟に父さんはもう亡くなったでしょと答えた。
その時私は母は本当は父は死んでいなかったことをわかっているのではと思った。

それから数日後また母が父のことを尋ねた。
「父さん亡くなったの?」と。
私はそうだよと答えると母は「お葬式したの?」と訊いた。
とってもいいお葬式してもらったよと答えると
母は突然手を合わせて「よかった」と呟いた。
私はこの時やっぱり母は父が生きていたことをわかっていたと実感した。

それからホームを訪ねるたびに母は父のことを訊いた。
ある日母の目や雰囲気が正気であると感じたので
少し詳しく父の話をした。
父は心臓が弱って病院に入院していたが
父の心臓がもたず逝ってしまったと。
ただその死は突然で父は苦しまずに眠るように逝けたのだと言うと
母がわっと泣き出した。
去年から20キロも痩せてしまった母。
その小さくなった肩を震わせて泣いている母に
父のこと知らせてかわいそうなことをしたと思う反面
9月に父が危篤状態になってから父のことを母に話せなかったので
ようやく母に父の死を話せたこと、悲しみを共有できたことで
私自身が楽になった。

その後母は私の顔を見るたびに父の死を確認しようとした。
そして私の言葉を聞くと少し黙って最初の頃は母の瞳から
スーッと一筋の涙が流れるのを見た。
仲のいい夫婦には見えなかったがやはり愛情があったのだとほっとした。
そう思わせておきながら母は父さんの年金が止まるから大丈夫かとか
保険は出たかとか現実的なことも訊いてきて苦笑することもあった。

父の遺影は私の友達と一緒に撮った写真を使った。
私の友達の横で父は満面の笑顔だった。
イギリスに持ち帰るのにその遺影を縮小コピーをしてもらう時
数枚してもらった。
母を訪ねたときに父さんの写真があるけど見る?と母に訊いた。
母がうんと言ったので見せるとしばらく見入っていた。
この写真を額に入れて母さんの部屋に飾ろうかと言うと
またうんと言った。
額に入った父は母の枕もとのテーブルの上で満面の笑顔だ。

自動車免許

ガーデンセンターの店番はレジがあるので2人と決まっている。
ただ同じ人が常駐できないので毎日店番の組合せが変わる。
先週は去年からアルバイトを始めた17,8歳の学生と仕事をした。
紅茶の差し入れをしてくれると言われた時に一緒だったサリー。

マークも大学に入ったばかりで私が日本人だと言うと
日本に行きたい、いろんな国に言ってみたいと言った。
来年大学の調査でインドネシアのジャングルに行くのをとても楽しみにしていた。

マイクは今車の免許を取っていて筆記試験は合格しており
翌日が路上試験だと言う。
もしそれに落ちると次に試験は3ヵ月後になってしまうので
絶対受かりたいので今夜は早く寝ると言っていた。

久しぶりに若い10代の子達と話していて
いろんな夢があって微笑ましいなと思った。

昨日仕事中にマイクにすれ違った。
免許どうだった?と訊くと減点無しで一発だったと嬉しそうに言った。
どうしたかなと思っていたけどそれなら次は車探しだねと言うと
車が決まったら教えるからと満面の笑顔で言った。
ちょっと私まで嬉しくなった。

差し入れ

勤め先のスーパーでは4年ほど前から屋外のトロリー置き場を使って
数ヶ月だけガーデンセンターを開いている。
今年も2月中旬から開いていた。
その店番も週に何回か回ってくる。
昨日も大学生のバイトの女の子と店番をしていた。
ここ最近の気温はまだ10度まで行かず一日外での仕事は寒い。
お客さんも寒いでしょうと声をかけてくれる。

昨日は90歳近い綺麗な真っ赤なコートを着たご婦人がコンポストを買いにいらした。
「こんなに寒いところで仕事をしていて温かい飲み物は出してもらえるの?」と聞かれた。
ありませんねと答えて温かい紅茶にウイスキーなんて入れてくれたらいいですねと
冗談を言った。
そのご婦人が紅茶に砂糖やミルクは入れるのと聞かれたので
私は砂糖もミルクも無しですと言った。
あなたは?とバイトのサリーにも尋ねられた。
するとサリーが「私はけっこうです」と断りだしたのでびっくりした。
このご婦人は私たちが温まれるように紅茶の差し入れをしてくれようとしていたのだ。
私は慌ててお気持ちだけで嬉しいですとお断りした。
本当にいいの?と言ってくださった。

お客様が帰られた後にサリーと私は優しいお客さんだねと嬉しかった。
身体は温まらなくても私たちの心は確実に温まった。

10年ぶりの故郷の冬

冬の北海道に帰ったのは10年ぶりになる。
もう雪の無い生活に慣れていた。
千歳空港に降り立ったとき鼻から吸い込む空気の冷たいこと。
懐かしい冷たさだった。

10月に日本を離れる前に雪囲いをした。
さむさんのアイディアをいただいてラティスを使って窓が雪で割れないように。
1月に着いたときは例年より雪が少なかった。

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今年は雪が少なくて雪かきもらくだと喜んでいたら
毎年雪の量の帳尻が合うようで帰国する間際には窓も雪で覆われてしまった。

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10年ぶりの雪かきは大変だった。
帰国の当日まで雪でこれでもう雪かきから開放されるかと思うと
嬉しかった。
ずい分根性無しになってしまったものだ。

父との別れ

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イギリスに戻り仕事にもすぐに復帰した。
気がついたらあっという間に10日も過ぎていた。

父の死は突然だった。
急性心不全。
妹と同じだった。
9月に日本へ戻ったときに医師からは
父の心臓はかなり弱っているので楽観視はできない。
何が起きてもおかしくない状況だと言われていたので
10月に別れて来たときはこれが父との最後かもしれないとも思った。

父の葬儀はごくわずかな親族と私の友人だけの小規模なものだった。
前回父が危篤状態になった時に従弟が彼の父が亡くなったときに
葬儀を取り仕切ってくれた従姉とそのご主人に私の父の葬儀の相談をしてくれていた。
10月に帰る時にもしものことがあったらと私もお願いをしていた。
従姉とご主人は快く引き受けてくださった。
従弟が私に父の訃報を知らせてくれた後すぐに従姉たちと
葬儀を取り仕切ってくれた。
私は通夜に間に合うように日本に駆けつけた。
何もかも全て従姉弟達がやってくれて私はただ父のそばにいられた。

母は認知症のせいなのか9月頃から父はもう亡くなったものと思っていた。
母を葬儀に参列させるのは体力的に無理であったし、
父のことで更に混乱するので母には知らせず私たちだけで葬儀を済ませた。
私は亡き妹の真珠のネックレスをし、母の数珠を持って葬儀に参列した。
生きている間に父のそばにいられなかったが父の顔は眠っているようで
何の苦しみも無く逝けたのだとそれだけが救いに思えた。

全ては4月から始まっていた気がする。
父には妹がいるが気難しい旦那さんと結婚し
なかなか自由に出歩けず父ともなかなか会えずにいた。
その旦那さんが去年の1月に亡くなった。
その後父の妹である叔母がずっと気になっていた父と母を探し当ててくれて
私が里帰りした5月前に両親を見舞ってくれていた。
私も叔母とは数十年ぶりに再会だった。
9月に父危篤の知らせを受けたときに私が生きている父に会えなくても
叔母には会ってもらいたいと連絡をした。
叔母はその後12月の半ばまで何度か父を見舞ってくれた。
叔母と再会した時の父はそれは嬉しそうだった。
父が亡くなった連絡を受けすぐに叔母にも連絡した。
12月に見舞ったときは元気だったのにと言葉を失っていた。

私が日本に着くまでの間に叔母は母方の従姉弟たちと連絡を取り合い
両家で協力し合って父の葬儀を挙げてくれた。
父の亡骸と対面した後すぐに会ったのが叔母だった。
叔母の顔を見た途端涙がこみ上げて二人抱き合って泣いた。

母が長年疎遠にしていた身内の絆は切れていなかった。
春から父が旅立つその日に向けて緩やかに何かが動き出していたとしか思えない。
私の家族を思いやってくださる方々が集まってくださり
心温まる葬儀で父を送ってもらえた。
ただただありがたかった。

2ヶ月ぶりのイギリス

金曜日の夜にイギリスに戻りました。
温かい励ましのお言葉ありがとうございました。

帰国が近づいた先週の月曜日には数年に一度の大吹雪。
千歳空港では150以上の飛行機がキャンセルになり
金曜日までには回復するのかとても心配でした。
しかし旅立つ金曜日の朝も雪でした。
マンチェスター空港が見えてきたらまさかの雪景色。
ここまで雪とは。
この日は何便かがキャンセルになったそうです。

今年の母の日は例年に比べて早く6日。
仕事復帰は7日の予定だったのですが
あまりにも大変そうなので一日早く仕事に行きました。
やはり疲れました。

今回は日本での余韻に浸る間も無く
イギリスの現実に即効で戻ります。