続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

2015年06月 の記事一覧

ティールブルーイヤリング

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久しぶりに作ったイヤリング。
上手くいかなくて何度も作り直した。
今回のブルーはティール。
パールと合わせてみた。

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ついてない日

今日はついていない。

その一、9月末に里帰りの航空券を取ろうとして
日にちをずらすと100ポンドほど安くなる便を見つけた。
それにしようと決済を進めていたらちょっとの差で売れてしまった。
最初の便にしようと思ったら数分の間にそれも売れてしまって
結局最初より50ポンド高い航空券を買う羽目になってしまった。

その二、ビーズを始めた。
イヤリングの片方ができたのだが糸の始末が気に入らなくて
何を思ったかライターを使った。
気になっていた糸は焼く事ができたがそれ以外の糸もとけてしまって
また一からやり直し。
やり直したていたら突然糸が切れた。
ほとんど切れるはずが無いのに・・・
今日は完成させられなかった。

その三、食器を洗っていたら
ティーポットをぶつけてしまい注ぎ口を割ってしまった。
15年以上も使っていたのに・・・

夫にぼやいたら悪い事は三度までだよと
イギリスの諺のようなことを言った。
今日はついてない日。

咽が痛い

昨日突然夫がなんだか咽が痛いと言い出した。
風邪引いたのかなとちょっと心配したら
喉のためにアイスクリームを食べなくちゃと言う夫。
台所へ向かう夫の顔がにやけていたので
アイスクリームを食べるための口実とわかり笑ってしまった。
夫は甘いものが大好き。
アイスクリームも大好き。
私を一緒に食べようと誘うが私はよっぽど暑い日でないと
食べたいと思わない。
私に甘い物を控えるように言われているので
口実を考えたのだろう。

父の日のブーケ

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私が里帰りしていた間に会社の経営方針が大きく変わった。
いままで私のスーパーバイザーだったデイブが昇進し
お花屋さんでの仕事はほとんどできなくなった。
さらに私はレジの仕事も増え花屋に常駐できる時間も少なくなっている。

ディスプレイ用の花束を作る時間もあまり取れない中
昨日作ったブーケ。
最初に使う予定だったバラは黄色で花びらの先端に向かって
赤みがかったオレンジだった。
ところがそのバラを見たお客さんがそのバラを買いたいとおっしゃって譲った。
作る直前にメインのバラがなくなったのでピンクのバラにして
その他の花も色合わせで変えて作ったのがこのブーケ。
ピンクとグリーンの組合せもいいかな。
このブーケは父の日の今日売れた。

地物

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地物のイチゴが出だした。
一年中イチゴは売られているのだが他のヨーロッパの国のものが多く
色はきれいでも食べてみるとがりっと硬かったり味が無かったりする。
今年も地物が出てきたので食べてみるとやっぱり美味しい。
やわらかくてちゃんと味があって。
摘み取られてすぐに売られていることがわかる。

食べ方は私はシンプルにそのままか軽く砂糖をかけるくらいでいいのだが
夫はシングルクリームと砂糖をかけて食べる。
クリームを無駄にするのももったいないので
その食べ方に付き合うがクリームからイチゴをすくい(救い)出して食べ
ほとんどクリームは残す。
夫はきれいにクリームまでスプーンですくって食べている。

まあ食べ方は色々だが今年も地物を楽しませてもらおう。

忘れ物

昨日仕事に出かける前に制服に制服に着替える時
いつもと順序を違えて着替えていた。
イギリスでは自宅から制服で通勤する人が圧倒的に多い。

会社に着いて上着を脱いだときに違和感。
しまった!ブラジャーを着け忘れてきた。
家にいるときはほとんど着けず
出かけるときしか着けない。
どうしようと思ったがブラウスの上にエプロンを着けるし
私の胸は小さいので誰も気付かないだろう。
たぶんこれが二回目だと思う。
一回目の時は違う部署で働いていて
一緒に働いていたクリスに言って大笑いされた。

今回は誰にも言わず誰にも気付かれず
私だけがなんだか可笑しな気分だった。

初孫

同僚のスーに初孫が生まれた。
男の子で名前はザック。
スーは初孫が生まれる予定日にあわせて1週間有休を取っていた。
しかし予定日から少し過ぎてしまいスーが仕事に戻る前日の夜中に
ザックは生まれた。

産気づいて夜中1時に病院へ行ったのにまだ早いと帰されて
4時に破水したお嫁さんが1階にいたスーの息子アダムの携帯にメールするが
アダムは転寝をしていて気付かなかった。
病院に着いたときにはもう赤ちゃんのあたまが見えていたそうだ。
初めておしめを換えようとしたらザックはおしっこをしてしまい
赤ちゃんもお父さんのアダムもおしっこまみれと大変そうだが
話すスーは楽しそうだった。

赤ちゃんは可愛い?と聞くと
とっても可愛い。アダムが生まれたときにそっくりなのと言っていた。
スーはそのうち写真を見せてくれるだろう。

お礼の仕方

私が日本に帰っていた3週間イギリスは天気が悪かったそうで
いつもなら温かくなる5月が低温のままだった。
6月に入ってもそれほどいい天気にはなっていない。
それでも私の休みと天気のいい日がようやく重なって
夫は釣りに行けた。

夫がここ5年ほど通っている釣堀のオーナーはデイブ。
4月に釣りに行ったとき夫はデイブに私が日本に里帰りするから
また3,4週間くらい来れないだろうと言ったら
デイブは電話をくれれば迎えに行ってやるから釣りしたいときは
電話しろと夫に言った。
私はその気が無ければデイブはそんなこと言わないから
もし行きたければ電話してみたら良いよと言っておいた。
しかし私がいなかった間はそんな天気だったので
デイブにお世話になることもなかった。

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先週久しぶりに夫が釣りに行って
デイブに私が日本に帰っていたのでしばらく来れなかったと言ったら
だから電話しろって言ったのになんでしなかったんだと怒られたと夫が言っていた。
夫がデイブから餌を買うと買った餌の他にエキスパンダーという餌を
サイズ違いで2袋出してきて使えと言われたそうだ。
夫がその分も払うと言ってもデイブはいいから使えと
お金を受け取らなかったそうだ。

私はいつも夫を釣堀に置いてきて自宅に帰る。
その日は迎えに来ての電話の前に電話が来た。
電話は凄く釣れるという内容で嬉しそうだった。
デイブがくれた餌で面白いほど釣れたそうだ。

迎えに行くと事務所の前で車を止めてくれという夫。
デイブに餌の礼を言ってくると事務所に入っていった。
戻ってきた夫に何て礼を言ってきたのと訊くと
「何だあの餌は。
たった15匹しか釣れないじゃないか」と言ってやったと。

これはイギリス流のジョークなのか夫流なのかわからない。
それでも2人の間にはちゃんと伝わっているのだろう。

笑顔

母がお世話になっていた老人保健施設には父もお世話になっている。
母と再会したあと父にも会ってきた。
毎年父は私のことをわかるだろうかと不安がよぎる。
今年も顔を出したときに「誰かわかる?」と聞くと
ニコッと笑って「わかるよ。〇〇ちゃん」と言ってくれた。
つい最近見舞ってくれた叔父や叔母の事は忘れていても
まだ私が娘だということを覚えていてくれる。
母に会ったすぐ後だったので父の笑顔が嬉しかった。
久しぶりに会った母の姿にかなりショックを受けてしまったので
父の笑顔にとても癒された。
あのまま父に会わずに実家に戻ったら打ちのめされた気持ちになっただろう。

母をメンタルクリニックへ連れて行った日に友達も仕事の都合をつけて来てくれた。
友達の顔を見た母がその時は正気で嬉しかったのがとてもいい笑顔を見せてくれた。
その笑顔を見た友達が思わず涙ぐんでしまった。
笑顔になってもらえることがこんなに嬉しく思えることを知った。

里帰り中母に比べると回数は少なかったが何度か父を訪ねた。
そのたびに父は笑顔で迎えてくれた。
父は私が尋ねることに返事をする程度で会話にはならない。
私が差し入れした食べ物を私の手から食べた。
口の中のものがなくなると巣の中にいる鳥の赤ちゃんのように
口を開けて待っている。
元気に食べてくれるのが嬉しかった。
思春期から20代半ばまで父が嫌いで仕方なかった。
その私が父の笑顔に癒されるなどとはその時は思いもしなかっただろう。

ある日少し正気になった母が
父さんも母さんもこんなんでごめんねと言った。
私は居てくれるだけで良いんだよと言った。
本当にそう思う。

ひとりじゃない

私は素晴らしい友達に恵まれている。
母の老人健康施設への入所が決まったとき友達が母の元へ駆けつけてくれて
身の回りのものの荷造りを手伝ってくれた。
入所した後も母を見舞ってくれ何かと世話をしてくれた。
母に信頼できる医師を紹介してくれ予約をしてくれたのも彼女だ。

妹が亡くなったときこれで私は一人になった。
両親に何かが起こったら一人で解決しなければと思っていた。
しかしずっと友達に支えられていて一人ではなかった。
言葉で感謝の気持ちを伝えてもありがとうとしか言えない。

母に会った翌日この友達と夕食を取っていた。
私が受けるであろうショックも知っていた。
夕食を取っている間に他の友達からメールが来た。
おかずを作ったので持って来てくれるという内容だった。
外食中で家にいないのでどうしようと返信すると
玄関フードにおいておくから大丈夫と返事が来た。
この友達は実家に誰もおらず冷蔵庫も空っぽなことを知っていて
空港に迎えに来てくれたときもお惣菜を作ってきてくれた。
そのことを友達に話すと
「ね、一人じゃないでしょ」とひと言言った。
その言葉を聞いた途端、涙が出そうになった。

そうなのだ。
毎年里帰りのたびに迎えに来てくれる友達。
車を貸してくれる友達。
会いたくてもなかなか時間が取れずにいたら
私の空いている時間の夜に車を飛ばして会いに来てくれた友達。
話を聞いて励ましてくれる友達。

母の事は辛いがこんな辛いときに
自分がどれだけ素晴らしい友達に恵まれていて
しあわせ者かと実感させられた。
この後一人じゃないでしょという友達の言葉を思い出すたびに
何度か泣きそうになってしまった。

妹が突然亡くなったときも私よりも先に実家に駆けつけ
両親の力になってくれたのも友人たちだった。

今回の母のことも友達の助けや励ましがなければ
私一人では何一つできなかったと思う。

11ヶ月ぶり

11ヶ月ぶりに会った母は10キロ以上も痩せていて
お世話になっている老人保健施設のベッドに腰掛け
目をつぶり嫌々をするように頭を左右に振っていた。
短い髪が好きな母の髪は伸びてボサボサになって
服は食べこぼしのシミがついていて変わり果てた母の姿に
すぐに言葉が出なかった。
母さんと声をかけると一度目を開け来てくれたのと言ったが
すぐに首振りを始めカチカチと歯を鳴らしていた。
30分ほどいたがまた明日来るねと施設を後にした。

ショックだった。

母が施設に入所した11月末までは毎日のように電話で話していた。
落ち込み気味ではあったが会話はできていた。
しかし12月末に母を訪ねてくれた友達から
母の様子が普通ではないから精神科を受診したほうがいいと勧められた。
受診の結果母の脳の萎縮が見られ認知症を発症していると告げられた。
精神安定剤を処方されたがそれ以上の治療はなかった。
老人保健施設では受けられる治療に制限があると聞いた。

母は幻想、幻聴があり時折電話してくる母の話は支離滅裂だった。
それでも私をまだ娘とわかっていて電話をくれた。
母は妖怪の存在に悩ませられていた。

私は母を施設に入れてしまったショックからなかなか抜けられず
すぐに母の元に駆けつけることができなかった。
何とか気持ちを奮い起こして日本行きの手配をした。
それでも正直言うと母に会って現実を受け入れるのが怖かった。

今回3週間しか取れなかった休暇だが
その間に何とか母を信頼できる医師に診てもらい
認知症の治療を受けさせたいと思っていた。
どこまでできるのかわからなかった。

イギリスにいる間に友達が良い医師がいると予約をしてくれていた。
その日は私の滞在中の真ん中くらいだった。
母も違う医師に見てもらうことをわかってくれた。
その医師は母の話をちゃんと聞いてくれた。

医師は母に
見えるはずのないもの見えたり聞こえるはずのないものが聞こえるのは
辛いですね。でもそれは脳の病気ですよ。今はいい薬があって
お母さんの不安を取り除くこともできますから一緒に治療しましょう。
と言ってくれた。
母は今までちゃんと母の話を聞いてくれる医師がいなかったので
初めてちゃんと話を聞いてもらえてほっとした表情を見せた。
医師は私があと10日ほどしか日本にいられない事情も汲んでくれて
私たちを診察室に残したまま彼が勤務する病院に電話を入れて
母がすぐに入院可能か確認してくれた。
近日中の入院は可能なので次回の帰国まで3ヶ月くらい入院して
じっくり治療に専念したらどうかと提案された。
願っても無いことでお願いしますと即答した。

母が入院したのは私の帰国5日前だった。
私は4日しか母に付き添えなかった。
それでも老人保健施設には母を残して帰りたくなかったので
適切な治療を受けられる病院に母を置いてこれたのは
本当に良かったと思っている。