続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

2013年06月 の記事一覧

母、その後3



日本に着いた翌日母の病院を訪ねた。
母が骨折する前日に電話で話して以来でほぼ2ヶ月ぶりだった。
母は私が来る日は知っていたものの私の顔を見ると
ぽかんとしたような反応だった。
リハビリは毎日2時間ほどで母はもう杖で結構歩けていた。
杖無しでも歩けるよと数歩歩いて見せた。

母は私の顔を見たら退院できると思っていたようだった。
最初の週の金曜日に医師、理学療法士、看護師、家族、患者で
状況の説明があった。
母はそれは退院に向けてのものだと思い込んでいたようで
私が行ってから4,5日は私の言うことを聞いていなかった。
3ヶ月はリハビリのためにこの病院にいること、
母の退院時に合わせて私がまた来ることを何度か言っていたのだが
帰ってきたいなら帰ってくればいいしょと簡単に答える。
私は母が上の空なのがわかり母の認知症が
始まってしまったのではないかと心配になった。

説明会で母はまだ帰れないことを理解した。
翌日母に前日に説明されたことがわかったかと聞くとわからないと言う。
もう一度一から説明をし直した。
母が自分の家に帰って一人で生活ができるようになるまで
リハビリが必要なので今すぐには帰れない。
7月末の退院に合わせて私が帰ってくると言うと
「帰ってくるの?」と初めて聞いたような顔で聞きなおした。
やっぱり母は聞いていなかったのだ。
また翌日見舞いに行くと母は
「昨日帰ってくるって言っていたけどそれはどういう意味?」と訊かれた。
ずっとは帰ってこれないけれど3週間ほど
母が一人で生活できるように見守ると言うと
少し安心した顔をした。

2週目に入って見舞いの時間帯が悪かったようで
寝入りばなだったり、深い眠りに入っているときだったりで
母はしばらくボーっとしていることが多かった。
2週目も母の頭は大丈夫だろうかと不安だった。

3週目に午前中だと母はまだ疲れておらず
頭もはっきりしていることがわかりその時間に見舞いに行った。
3週目は以前の母と同じだと安心できた。

母の回復は目覚しかった。
杖を持たせれば理学療法士の方がそんなに早く歩かなくてもいいと
言うほどスタスタと歩いていた。
杖無しでも長い病院の廊下を難なく歩いていた。
母は家に帰りたい一心で頑張っているのがわかった。
出された食事も残さず食べる。
説明会でも医師は健康状態はとてもいいと言っていた。
その説明会で母は夜中にトイレに行くとき
看護師さんの手を煩わすのが申し訳ないと言った。
婦長さんはそれは自分たちの仕事だから気にしなくていいと
言ってくれた。
その時医師が夜中のトイレも一人で行っても大丈夫と言った。
しかしこれが裏目に出てしまった。

11日母の身元責任者の従兄弟に電話が入った。
夜中トイレに一人で行った母が転倒したと。
幸い怪我はないとも。
母は夜寝る前に睡眠薬を飲む。
その状態でトイレに行くのは心配だった。
14日あたりから母は左脇腹が痛いと言い出した。
14日に1時間だけ母は理学療法士、ソーシャルワーカーと
自宅訪問をした。
自宅に戻ったらどのように暮らすのかを見て
必要であれば手すりの設置などを決める訪問だった。
その日母は病院ではしない体勢を取ったので
筋肉痛ではないかと言っていたのだが
しばらく痛みが続いていたので19日にレントゲンを取ってもらった。
母にどんな痛みと聞くとしびれる感じと言っていたので
嫌な予感がしていた。
その予感は的中。
左肋骨の8番目が骨折していた。
医師の説明によるときれいに折れていて肺を傷つけるような
状態ではないのでバンドか湿布で対処できるそうだ。
さらに医師が言うには過去にも肋骨を折った痕があると。
自然に治っていてどうやら母は痛みに強いようだ。
しかしこれ以上骨折されると家に帰れなくなる。
病院に母の夜中のトイレ付き添いを頼み
母にもきつく看護師さんを呼んで一人でトイレに行かないように
言い聞かせた。

滞在最終日も病院で説明会があり
その後自宅に手すりを付ける工事の見積もりをもらい
申請の手続きまでしてもらった。
あとは私がいない間従兄弟の立会いで工事をしてもらい
母が戻ってくるときには手すりは付いていることになる。

とりあえず今回できることはやってきた。

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里帰り2013-1

先週の土曜日夕方にイギリスに戻った。
相変わらず厚い雲に覆われたマンチェスター。
昨日は一日中時差ぼけで眠く睡魔との闘い。
そして今日から仕事。
昨日日程を聞きにデイブを訪ねると
夫の目の前で私に抱きついて離れなかった。
歓迎される職場に戻れるのはいいことだ。

フィンランド航空の朝食は離乳食かと思わせるような
お粗末なものだったので
中部国際空港の一時間の間に一昨年行ったお粥やさんへ直行。



日本滞在中はほぼ毎日母の病院へ顔を出していた。
最初の4,5日は母の頭は混乱していたたようだが
リハビリは順調で杖無しでも少し歩けるようになっていた。
父も施設で落ち着いている暮らしぶりが見えた。
これからのことを考えなければならならことがまだまだあるが
今回は滞在中の間にできるだけのことはして戻ってきた。
詳しくはぼちぼち書いていこう。