続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

哀悼

カテゴリ:哀悼 の記事一覧

元お医者さま

お客様の中にお医者さんを引退された70代の老紳士がいた。
昨日その方の奥様が私のレジにいらした。
ご主人はお元気ですかと声をかけようかと思ったのだが
なぜか止めてしまった。
お支払いのときに奥様があなたは主人と良くお話していたわねと
おっしゃったので実はご主人のことを尋ねようと思っていたと言うと
主人は亡くなったのと言われた。
いつですかと尋ねると去年の11月だったそうだ。
驚いて言葉を失ってしまった。
またねとおっしゃった奥様の横顔は涙をこらえているのがわかった。

ご主人とお話しするようになったのは数年前に遡る。
喘息だったのかいつも吸入薬を使われていて
奥様が買い物をされている間は店内のベンチで休まれていた。
職業柄沢山の元患者さんやそのご家族がこの老紳士に声をかける。
その度ににこやかに対応されていた。

私が奥様にお目にかかるずっと前に老紳士が
奥様との馴れ初めを教えてくださった。
初めて出会ったとき奥様の美しさに一目惚れをされた。
しかし奥様にはもうすでに婚約者がいた。
それでも彼は諦められなくて10回以上もプロポーズをした。
その熱意にほだされたのか彼の奥さんになってくれたそうだ。
妻はもう70歳を超えているけれどまだまだ綺麗で
僕はとっても幸せ者だとのろけられていた。
奥様は今でも綺麗だと言うのはあばたもえくぼと思いながら
微笑ましいお話だと思っていた。
ある日初めて奥様を見たら背筋が真っ直ぐで
本当に綺麗な方だった。
70代を超えていても私が綺麗だと思うのだから
お若かった頃はとてもお綺麗だっただろう。
そして最愛の奥様に見守られてお亡くなりになったのだ。

私のレジにはもう次にお客様がいらした。
しかし老紳士との思い出や奥様とのお話、
そんなことを思い出していると涙が出てきた。
何とか仕事は続けたがきっと事情を知らない次のお客さんは
変に思われただろう。

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ジューリ

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このミニシクラメンは7年ほど前にジューリから
私の誕生日プレゼントにもらったものだ。
昨日仕事に行くとスーがジューリの訃報を教えてくれた。
先週の土曜日に亡くなったそうだ。

私が今のスーパーに勤めるようになった初日に
配属された部署のスーパーバイザーが私をジューリに紹介してくれた。
ジューリは私に握手を求めよろしくねと言ってくれたのを覚えている。

ジューリはなかなか問題の多い人だった。
夫は暴君。
娘は薬物中毒で彼氏も同じ。
娘は私が勤めだす前に暴力を振る彼氏から逃げてスーパーに駆け込み
そこへ彼氏が現れて警察沙汰になって
それ以来娘がスーパーへ来る事は禁止されたそうだ。
娘は3人ほど子供を生んだが育児能力が無く
育児放棄とみなされ子供は保護され娘の元を去った。
そんな生活環境から逃れるためか
ジューリは毎日のように酒を飲んでいた。
仕事に来てもまだ酒が抜けていないようで
一緒に仕事をしていて酒臭いと感じることが多々あった。
仕事仲間でも感じていたので当然客からも酒臭いと声が上がった。

数年前管理職が抜き打ちでジューリのロッカー検査をし
水のペットボトルの中身がウオッカだったのを発見した。
その場でジューリは強制退社させられ後日解雇された。
勤続17年目だった。

去年だったろうかスーがジューリに肺がんが見つかったと教えてくれた。
それから何度かスーとジューリはどうしているかと話していた。
一度スーがジューリを見舞いに行ったが夫がいて
ジューリは今寝ていると言われて会わせてもらえなかった。
結局スーはジューリに会う機会を失ってしまった。
59歳だった。

何があったのかは忘れたが一度だけジューリが
私に助言してくれたことがあった。
「強くならなきゃだめだ。
自分は早くに両親を亡くして誰も頼れなかった。
だから強くなって頑張った。
Kemmiも強くならないと」と言われたのを覚えている。

ジューリからもらったミニシクラメンは毎年何度も花を咲かせてくれる。
ジューリは私の顔を見るたびに「私の贈った花はどうしてる?」と訊いた。
いつも元気でまた花を咲かせているよと答えると嬉しそうにしていた。
本当に元気だ。
水遣りをしながらいつもジューリを思い出さずにはいられなかった。
先週からまた花が咲き出した。
根元にはこれからの蕾が幾つも見えている。

贈り主はいなくなってしまった。
昨日訃報を知らせてくれたスーとはそれ以上ジューリの話はしなかった。
お互いなんとなくやるせない気持ちだったと思う。

父との別れ

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イギリスに戻り仕事にもすぐに復帰した。
気がついたらあっという間に10日も過ぎていた。

父の死は突然だった。
急性心不全。
妹と同じだった。
9月に日本へ戻ったときに医師からは
父の心臓はかなり弱っているので楽観視はできない。
何が起きてもおかしくない状況だと言われていたので
10月に別れて来たときはこれが父との最後かもしれないとも思った。

父の葬儀はごくわずかな親族と私の友人だけの小規模なものだった。
前回父が危篤状態になった時に従弟が彼の父が亡くなったときに
葬儀を取り仕切ってくれた従姉とそのご主人に私の父の葬儀の相談をしてくれていた。
10月に帰る時にもしものことがあったらと私もお願いをしていた。
従姉とご主人は快く引き受けてくださった。
従弟が私に父の訃報を知らせてくれた後すぐに従姉たちと
葬儀を取り仕切ってくれた。
私は通夜に間に合うように日本に駆けつけた。
何もかも全て従姉弟達がやってくれて私はただ父のそばにいられた。

母は認知症のせいなのか9月頃から父はもう亡くなったものと思っていた。
母を葬儀に参列させるのは体力的に無理であったし、
父のことで更に混乱するので母には知らせず私たちだけで葬儀を済ませた。
私は亡き妹の真珠のネックレスをし、母の数珠を持って葬儀に参列した。
生きている間に父のそばにいられなかったが父の顔は眠っているようで
何の苦しみも無く逝けたのだとそれだけが救いに思えた。

全ては4月から始まっていた気がする。
父には妹がいるが気難しい旦那さんと結婚し
なかなか自由に出歩けず父ともなかなか会えずにいた。
その旦那さんが去年の1月に亡くなった。
その後父の妹である叔母がずっと気になっていた父と母を探し当ててくれて
私が里帰りした5月前に両親を見舞ってくれていた。
私も叔母とは数十年ぶりに再会だった。
9月に父危篤の知らせを受けたときに私が生きている父に会えなくても
叔母には会ってもらいたいと連絡をした。
叔母はその後12月の半ばまで何度か父を見舞ってくれた。
叔母と再会した時の父はそれは嬉しそうだった。
父が亡くなった連絡を受けすぐに叔母にも連絡した。
12月に見舞ったときは元気だったのにと言葉を失っていた。

私が日本に着くまでの間に叔母は母方の従姉弟たちと連絡を取り合い
両家で協力し合って父の葬儀を挙げてくれた。
父の亡骸と対面した後すぐに会ったのが叔母だった。
叔母の顔を見た途端涙がこみ上げて二人抱き合って泣いた。

母が長年疎遠にしていた身内の絆は切れていなかった。
春から父が旅立つその日に向けて緩やかに何かが動き出していたとしか思えない。
私の家族を思いやってくださる方々が集まってくださり
心温まる葬儀で父を送ってもらえた。
ただただありがたかった。

デイブ・ベイリー

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昨晩週刊で出ている釣りの新聞を読んでいた夫が
Oh,dearとつぶやいて読んでいた新聞を私に見せた。
それはデイブ・ベリーが先週の金曜日に亡くなったという記事だった。

デイブは夫がここ5年ほどずっと通っていた釣堀のオーナーだった。
夫は膝を怪我してから働けなくなって家にいたが
趣味だった釣りのおかげで家に引き篭る事は無かった。
デイブとも気が合ったようで良くしてくれた。
夫いわく自分は他の釣り客と扱いが違うなと感じていたそうだ。

運転ができない夫の釣りに行くチャンスは私の休みの日で
天気が良くなければならなかった。
天気の悪いイギリスなのでいい日はなかなかやってこない。
最後に釣りに行ったのが8月で9月はタイミングがあわないまま
私が日本へ帰らなければならなくなった。
私がいなかった時期がとても天気が良くて釣り日和だった。

日本から帰ってきても家の模様替えで天気が良くても家を空けられなかった。
模様替えが終わったら悪い天気が続いて釣りに行けずにいた。
それでも夫の話題は釣りのことで
デイブが自分が来ないことを心配しているだろうなと話していたばかりだった。

あまりにも突然の悲報だった。
いつも夫を釣りに連れて行くとデイブは笑顔で迎えてくれた。
70歳を超えているとはいえ元気そうに見えた。
会えなかった3ヶ月間に何があったのかはわからないが
とても寂しい。
夫が一番寂しい思いをしているだろう。
私たちはただただ彼のご冥福を祈るばかり。

別れ

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今日は義母のお葬式だった。
先週祝日を挟んでしまったので3週間近く経ってしまった。
式は墓地内にあるチャペルで行われた。
宗教色のない式ということで賛美歌やお祈りの言葉などはなく
とてもシンプルなものだった。
義母の人生の歩みを皆で聞きお義姉さんがポエムを読んだ。
音楽は義母が自分の葬儀の時にと選んだものがかけられた。
どれも良かった。
特にWestlifeのSeasons in the sunは涙を誘った。
義母はWestlifeが好きだった。
夫があの歌は良かった。でももう二度と聞かないだろうと言っていた。
チャペル内の式が終わる頃私たちは棺と一緒にチャペルを出た。
葬儀社の人達が義母の棺を荷車に乗せ、
その後ろに家族が続きお墓まで歩いた。
夫にはちょっと遠かったが何とかお墓までたどり着けた。
皆が最後にお祈りの言葉をささげる中、義母の棺がお墓に納められた。
最後に葬儀社の人が用意した土が小さな木箱に入っていて
その土を棺にかけて別れを告げた。

今日の天気予報は時々雨だった。
しかし式の最中は雨も降らずお墓に向かったときには
日が射した。
とてもいい天気だった。
夫が雨の中は義母がかわいそうだと言っていたので
本当に良かった。

これで終わった。
初七日もなければ一周忌もない。
私にとってはこれで終わりなのかと不思議に思うこともある。
でも義母がまた家族と一緒になれたのでよかった。

旅立ち

夫の母に励ましのコメントをありがとうございました。
残念ながら義母は昨日帰らぬ人となりました。

色々と手は尽くしてくれたようなのですが回復は見込めず
酸素吸入で何とか呼吸を保っていたのですが
昨日朝9時に家族の許可を得て吸入器が止められました。
義母はそのほぼ4時間後に息をひきとりました。

夫はその前日に義母が危険な状態だと連絡を受け
病室の入り口から義母を見ただけで足が凍りつき
そのまま待合場所に行ってしまいました。
義姉が夫に付き添ってくれて私が夫の元に行くと
夫は泣き崩れていました。
とても死に逝く義母を直視できない。
病室の前に壁が立ちはだかっているようで
一歩も前に進めなかったと言っていました。
結局その日夫は義母の顔を見ずに帰ってきました。

義母は自由気ままに生きてきた人で
優先順位はいつも自分が一番。
夫は私が想像もつかないような辛い経験をしてきています。
義母の性格は変わらず相変わらず自分が一番。
電話は欠かさずしていた夫ですが
辛いときなどちょっと義母の優しい言葉を期待していても
いつものように裏切られていました。
もう電話なんかしないと言いながらその繰り返し。
私から見ると本当にお母さんが好きで
たった一言優しい言葉をかけてくれるのを期待しているのだと思いました。

泣き崩れている夫を見てどんな母でも夫にとってはかけがいのない存在。
途方に暮れている夫の姿はかわいそうで仕方ありませんでした。

昨日、朝付き添っていた弟さんから電話が入り
酸素吸入器を止めることになるので病院に来て欲しいと言われました。
夫はもう覚悟を決めていたようで義母に最後のお別れをしてきました。
しかし自分には義母を看取れないと姉弟たちに詫びを入れて
すぐに病院を去りました。
それから4時間後お姉さんから義母が亡くなったと連絡が来ました。
長い4時間でした。

夫はもう義母に電話できなくなったなとつぶやいていました。

義母の遺体は自宅に戻ることなく葬儀屋さんに安置されています。
処置が施されるまでは家族には会えないそうです。
たぶん夫はもう義母の顔は見ないと思います。
お葬式までにしなければいけない手続きがあるのですが
土曜日、日曜日にぶつかってしまったので
来週にならないと何もできません。
今は自宅でゆっくりしながらお線香をあげています。
お線香はイギリスの風習ではないのですが・・・

夫はなぜかわからないけれど家族が亡くなった家は
カーテンを閉めるのだと言って昨日からカーテンを閉めています。
まだお葬式の日程は決まっていないのですが
なんとか私の里帰り前になればいいと夫と話しています。

残念な結果になりましたが色々な病気を抱えていた義母が
もう痛みのない世界へ旅立ったのだ。
懐かしい家族と再会しているのだと夫と思っています。
ご心配をお掛けしました。

ブライアン

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前回夫を釣掘に迎えに行ったら悲しいニュースがあると言う。
ブライアンが1月3日に亡くなったと。

ブライアンは釣掘を手伝っていたスタッフ。
年のころは夫と同じくらいで50代だった。
この釣堀に通いだして3年近く経つ。
夫とブライアンはすぐに仲良くなったようだ。
でも最初の頃、夫はブライアンのことをジョンと呼んでいた。
ブライアンは何も言わなかったようで
他の客がブライアンと呼んでいるのを聞いて
夫が間違いに気づいた。
ブライアンはそんなことを気にすることもない気さくな人だった。

釣りに行くと半日はいるので2人はよく話をしていたようだ。
夫の送り迎えをする私にも必ず声をかけてくれた。
迎えに来なくてもいいよとか
置いて行っちゃえばいいのにとか
真っ黒に日焼けした笑顔だった。

去年あまりブライアンの姿を見なくなったので
夫が釣堀のオーナーデイブに聞いたところ
癌が見つかったと教えてくれた。
予想していなかった答えだった。
釣堀に行くたびにブライアンの姿が見えなくて寂しかった。

今年の初釣りは1月4日だった。
その日もブライアンはどうしているかなと話していたが
その前日に亡くなっていたのだ。
その日は釣堀を管理している人が誰もいなかったので
ブライアンのことは知らなかった。

夫が言っていた。
この年になってから新しい友達を持てるのは難しい。
せっかくブライアンと知り合ったのに
失ってしまうのは本当に悲しいと。

ブライアン、安らかにお眠りください。