続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

両親

カテゴリ:両親 の記事一覧

レッグウォーマー

先月老人ホームにいる母に電話をした。
認知症ではあるがある程度の会話はできる。
元気そうで安心した。
服が欲しいと言っていたので友達に頼もうと思ったが
オンラインショップで頼むことができるか調べると
お年寄りの服を頼めるお店が結構あったので
そのお店から選ぶことにした。
ホームでは持ち物に名前を付けなければいけない。
そのお店では刺繍で名前を入れてくれる。
これは嬉しいサービスだ。
決まった金額を超えると送料も無料になる。
北海道は本州に比べると送料が若干高くなってしまう。
あと600円程足りなかったので何かないかとみていたら
レッグウォーマーがあった。
母は脊椎の数か所がつぶれてしまい背が縮んでしまったが
昔は160センチあり私とそれほど変わらなかった。
背は縮んだものの足の長さは変わらないので普通のスボンだと短い。
座っている時間が長いのでズボンの裾が上がって脛が寒くなる。
そこでレッグウォーマーを追加で入れてみた。

後日老人ホームの相談員さんから荷物が届いたとメールが来た。
母は頼んだ服よりもレッグウォーマーをとても喜んで
その場ですぐに身に着けたそうだ。

メールをもらっておまけに頼んだ物が母を一番喜ばせたと知り
意外ではあったが喜んでもらえたのは嬉しかった。

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りんどう

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昨日老人ホームにいる母を見舞ってくれた従弟が
メールと写真を送ってくれた。
母は夕食を完食し頑張っていることと
母が生け花の活動で生けたものが飾られていたと
その写真を撮ってくれた。

この老人ホームにしたいと思った一つの理由が様々な活動だ。
母は塗り絵やお花が好きなのでそれを楽しめたらと思った。
この写真を見て母が好きなことがあってよかった。
またそれができる環境であってよかったと思った。

母の誕生日

今日は母の83回目の誕生日だった。
母は私が3月にイギリスに戻ったあと気落ちして食欲も落ち
35キロしかない体重が更に減ってしまった。
お世話になっている老人ホームでは一生懸命に母の世話をしてくださった。
従弟も母の好物を届けて励ましてくれたりと色々としてくれた。
少し良い方向に向かいだした5月半ば老人ホームでの血液検査で
母の肝機能数値が非常に高くすぐに診てもらうと
検査入院となってしまった。
結局母は肺炎を起こしていた。
母の精神状態を考えると病状が良くなればホームに戻るのが一番で
母をそれを励みに頑張ってた。
6月上旬に肺炎も治まりもう少しで退院できそうだと
ケアーマネージャさんからも従弟からも連絡が来ていた。
しかしそれから1ヶ月近く音沙汰が無くなってしまった。
どうしたのだろうかと思いながらもこちらか連絡をするのが怖かった。
何か悪いことが起こっているのではと思うと・・・

今日は母の誕生日。
母はまだ病院だと思うと辛かった。
朝食後ケアーマネージャさんから明後日退院できますよと
メールが届いた。
どうやら病院がいたずらに母の退院を延ばしていたようで
従弟やケアーマネージャさんの再三の催促で退院が決まったそうだ。
いい知らせだった。
イギリスに戻ってきてからずっと気が晴れることが無かった。
今日やっとほっとした。
母の誕生日だったけど私にとっての最良のプレゼントをもらったみたい。

いつも悩みを聞いてくれるクリスが
No news is good news.(知らせの無いのは良い知らせ)と言って励ましてくれた。
夫も同じことを言っていた。
クリスの旦那さんも心配事があるときはこんな悪いことが起こったら
嫌だなという事は思わないでこうなって欲しいなと思うことを
考えていたほうがいいよとクリスから伝言してくれた。

母に直接誕生日おめでとうとは言えなかったが
良いニュースが届いた日だった。

冗談

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父が亡くなってそろそろ半年となる。
去年の9月に父が危ないと連絡を受けて急遽日本へ行った。
幸い父は持ち直してくれた。
少しずつ良くなってくれた。
私の声かけにも答えてくれてくれるようになった。
とはいえ「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫」とおうむ返しなのは
それまでと同じだった。
ある日父を見舞うと顔が赤く見えたので額や頬を触ってみると
熱があるようだった。
看護師さんに診てもらうとやはり熱があった。
自分で訴えることができない父なのでそれから見舞うたびに
父の額からはげた頭にかけてなでて熱が無いか確認していた。
いつものように父の頭をなでているとそれまで単語でしか
応対をしなかった父が突然
「髪が生える」と言った。
一瞬何のことだかわからなかったのだが
私が父の頭をなでるので髪が生えてくるかもしれないと言う
父の冗談だとわかった。
わかった瞬間私は病室に響き渡るような大きな声で笑ってしまった。
そして父が元気なときでも冗談を言うのは珍しかったので
冗談を言えるほど回復したのだと嬉しくなった。
それは父が最後に聞かせてくれた冗談になってしまったが
今思い出してもふっと笑みがこぼれる父との貴重な思い出となった。

母と父

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この生花は母が老人ホームの活動で生けた。
花が好きで生花もたしなんでいた母は花を生けているときは
認知の症状も落ち着き楽しんでやっているそうだ。

母の中では父はすでに亡くなっていた。
母が辛い認知症の治療の中であとに残してきた父が心配で
母の世界でもう亡くなったことになったのだと思う。
ところが父の葬儀や初七日が終わった頃
急に母が「父さんは?」と尋ねた。
私は咄嗟に父さんはもう亡くなったでしょと答えた。
その時私は母は本当は父は死んでいなかったことをわかっているのではと思った。

それから数日後また母が父のことを尋ねた。
「父さん亡くなったの?」と。
私はそうだよと答えると母は「お葬式したの?」と訊いた。
とってもいいお葬式してもらったよと答えると
母は突然手を合わせて「よかった」と呟いた。
私はこの時やっぱり母は父が生きていたことをわかっていたと実感した。

それからホームを訪ねるたびに母は父のことを訊いた。
ある日母の目や雰囲気が正気であると感じたので
少し詳しく父の話をした。
父は心臓が弱って病院に入院していたが
父の心臓がもたず逝ってしまったと。
ただその死は突然で父は苦しまずに眠るように逝けたのだと言うと
母がわっと泣き出した。
去年から20キロも痩せてしまった母。
その小さくなった肩を震わせて泣いている母に
父のこと知らせてかわいそうなことをしたと思う反面
9月に父が危篤状態になってから父のことを母に話せなかったので
ようやく母に父の死を話せたこと、悲しみを共有できたことで
私自身が楽になった。

その後母は私の顔を見るたびに父の死を確認しようとした。
そして私の言葉を聞くと少し黙って最初の頃は母の瞳から
スーッと一筋の涙が流れるのを見た。
仲のいい夫婦には見えなかったがやはり愛情があったのだとほっとした。
そう思わせておきながら母は父さんの年金が止まるから大丈夫かとか
保険は出たかとか現実的なことも訊いてきて苦笑することもあった。

父の遺影は私の友達と一緒に撮った写真を使った。
私の友達の横で父は満面の笑顔だった。
イギリスに持ち帰るのにその遺影を縮小コピーをしてもらう時
数枚してもらった。
母を訪ねたときに父さんの写真があるけど見る?と母に訊いた。
母がうんと言ったので見せるとしばらく見入っていた。
この写真を額に入れて母さんの部屋に飾ろうかと言うと
またうんと言った。
額に入った父は母の枕もとのテーブルの上で満面の笑顔だ。

日本へ

父が亡くなりましたので日本に帰ります。
元気だと聞かされていたので
春に日本に帰る予定で居たので
その時にまた父に会えると思っていたのですが・・・

父は今日も元気に看護婦さんに手を振っていたそうで
その数時間後に見回ったらすでに息が無かったそうです。
すっと逝ってしまったようです。

明日朝の便が取れたので日本へ帰ります。
四十九日までは日本にいたいのでしばらくお休みします。
皆さんの助けを借りながら父を送りたいと思います。

笑顔

母がお世話になっていた老人保健施設には父もお世話になっている。
母と再会したあと父にも会ってきた。
毎年父は私のことをわかるだろうかと不安がよぎる。
今年も顔を出したときに「誰かわかる?」と聞くと
ニコッと笑って「わかるよ。〇〇ちゃん」と言ってくれた。
つい最近見舞ってくれた叔父や叔母の事は忘れていても
まだ私が娘だということを覚えていてくれる。
母に会ったすぐ後だったので父の笑顔が嬉しかった。
久しぶりに会った母の姿にかなりショックを受けてしまったので
父の笑顔にとても癒された。
あのまま父に会わずに実家に戻ったら打ちのめされた気持ちになっただろう。

母をメンタルクリニックへ連れて行った日に友達も仕事の都合をつけて来てくれた。
友達の顔を見た母がその時は正気で嬉しかったのがとてもいい笑顔を見せてくれた。
その笑顔を見た友達が思わず涙ぐんでしまった。
笑顔になってもらえることがこんなに嬉しく思えることを知った。

里帰り中母に比べると回数は少なかったが何度か父を訪ねた。
そのたびに父は笑顔で迎えてくれた。
父は私が尋ねることに返事をする程度で会話にはならない。
私が差し入れした食べ物を私の手から食べた。
口の中のものがなくなると巣の中にいる鳥の赤ちゃんのように
口を開けて待っている。
元気に食べてくれるのが嬉しかった。
思春期から20代半ばまで父が嫌いで仕方なかった。
その私が父の笑顔に癒されるなどとはその時は思いもしなかっただろう。

ある日少し正気になった母が
父さんも母さんもこんなんでごめんねと言った。
私は居てくれるだけで良いんだよと言った。
本当にそう思う。

11ヶ月ぶり

11ヶ月ぶりに会った母は10キロ以上も痩せていて
お世話になっている老人保健施設のベッドに腰掛け
目をつぶり嫌々をするように頭を左右に振っていた。
短い髪が好きな母の髪は伸びてボサボサになって
服は食べこぼしのシミがついていて変わり果てた母の姿に
すぐに言葉が出なかった。
母さんと声をかけると一度目を開け来てくれたのと言ったが
すぐに首振りを始めカチカチと歯を鳴らしていた。
30分ほどいたがまた明日来るねと施設を後にした。

ショックだった。

母が施設に入所した11月末までは毎日のように電話で話していた。
落ち込み気味ではあったが会話はできていた。
しかし12月末に母を訪ねてくれた友達から
母の様子が普通ではないから精神科を受診したほうがいいと勧められた。
受診の結果母の脳の萎縮が見られ認知症を発症していると告げられた。
精神安定剤を処方されたがそれ以上の治療はなかった。
老人保健施設では受けられる治療に制限があると聞いた。

母は幻想、幻聴があり時折電話してくる母の話は支離滅裂だった。
それでも私をまだ娘とわかっていて電話をくれた。
母は妖怪の存在に悩ませられていた。

私は母を施設に入れてしまったショックからなかなか抜けられず
すぐに母の元に駆けつけることができなかった。
何とか気持ちを奮い起こして日本行きの手配をした。
それでも正直言うと母に会って現実を受け入れるのが怖かった。

今回3週間しか取れなかった休暇だが
その間に何とか母を信頼できる医師に診てもらい
認知症の治療を受けさせたいと思っていた。
どこまでできるのかわからなかった。

イギリスにいる間に友達が良い医師がいると予約をしてくれていた。
その日は私の滞在中の真ん中くらいだった。
母も違う医師に見てもらうことをわかってくれた。
その医師は母の話をちゃんと聞いてくれた。

医師は母に
見えるはずのないもの見えたり聞こえるはずのないものが聞こえるのは
辛いですね。でもそれは脳の病気ですよ。今はいい薬があって
お母さんの不安を取り除くこともできますから一緒に治療しましょう。
と言ってくれた。
母は今までちゃんと母の話を聞いてくれる医師がいなかったので
初めてちゃんと話を聞いてもらえてほっとした表情を見せた。
医師は私があと10日ほどしか日本にいられない事情も汲んでくれて
私たちを診察室に残したまま彼が勤務する病院に電話を入れて
母がすぐに入院可能か確認してくれた。
近日中の入院は可能なので次回の帰国まで3ヶ月くらい入院して
じっくり治療に専念したらどうかと提案された。
願っても無いことでお願いしますと即答した。

母が入院したのは私の帰国5日前だった。
私は4日しか母に付き添えなかった。
それでも老人保健施設には母を残して帰りたくなかったので
適切な治療を受けられる病院に母を置いてこれたのは
本当に良かったと思っている。

ご無沙汰でした

先月の下旬に母が老人保健施設に入所しました。
去年の4月に大腿骨骨折後目覚しい回復をした母でしたが
今年の夏の終わりくらいから身体的にも精神的にも
あまり良い状態ではなくなりました。
特に1人で暮らしていくことにかなりの不安を抱えるようになり
一日一日を終えるのが精一杯でした。

先月中旬に母が1人で自宅にいるのはもう無理だと思える事態になり
伯父、ケアーマネージャさんと相談し緊急で入所できるところを
探してもらい運よく父と同じ施設に入所できることになりました。
とはいえ母にとっても私にとっても辛い選択でした。
私が日本に帰れないばかりに母に辛い思いをさせています。
母の身の安全を考えれば一番良い選択だとはわかっていながら
私自身が落ち込んでしまいブログをお休みしていました。

冬の北海道は特にお年寄りには厳しい季節です。
やはり24時間見守っていただける施設に居るのが
母の安全を考えると仕方のない選択だったと思うようにしています。

つたないブログですがまたぼちぼち続けようと思いますので
良かったらお付き合いください。

クリスマスカード

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母からのクリスマスカードが28日に届いた。
さっそく母に電話をし、看護師さんにもお礼のメールを送った。
母も届いたと聞いてほっとしたようだ。
私もとっても嬉しい。